自由時間を共有することが大切といいます。
集まること、
同じ場所にいること自体は、学校や職場など
規則や義務で成り立つ場にもあります。
でも「自由時間を共有する」となると、
その空気はまったくちがってきますよね。
たとえば、家族で過ごす時間。
友だちや恋人と、ただ「いる」時間。
仕事仲間と
「めしでも食おうか」という時間や、
「ちょっと飲んでいこうぜ」という時間も、
ちょっとちがうと思うんです。
なんなら昼休みに、
一緒にあくびしている時間だってそう。
そう考えると、
大人になってからの生活って、
どこまでが「自由時間」なのか、
すごくあいまいだと思います。
マンガを読んでいても、
テレビを見ていても、
「これは仕事の一部だ」なんて
思いこんでいる人もいますからね。
そういう自称"仕事の鬼"には、
ほんとうの意味での「自由時間」は、
もしかしたらないのかもしれない。
だから当然、
「自由時間を共有すること」もなくなります。
その結果、気づけば家族や友人との関係が
どこか遠ざかってしまう…
そんなこともあるかもしれません。
「自由時間の共有」ということばは、
ぼくはよくスポーツの現場で聞きます。
「いいチームに必要なのは合宿だ」
なぜなら、寝食をともにすることで、
「自由時間を共有できる」からだ、と。
でも、これはスポーツや、
チームづくりにかぎった話じゃありません。
人として、人生そのものにとっても、
「自由時間を共有すること」は、
欠かせないことなんだと思います。
目的があるかどうかは関係なく、
だれかと「自由時間を共有できる」こと。
それがあるだけで、きっと、
人生はずっとあたたかなくなるのだと思う。
今日も「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。
一緒に過ごす「自由時間」は、
人と人とをつなぐ、
いちばんシンプルで豊かな絆。