平和のバトンを受けとって。 | わくわく海賊団

わくわく海賊団

Compass of Your WakuWaku

 

 1945年8月15日。

 

 日本中の人々が耳をすませたラジオから、

 天皇陛下の肉声が流れました。

 

 日本の敗戦と、戦争の終わりを告げる放送。

 いまでは「玉音放送」と呼ばれています。

 

 当時の人たちは、その放送を

 どんな気持ちで聴いたのでしょうか。

 

「まだ戦える」と言った人もいたそう。

「もっと早く終わってほしかった…」と、

 嘆いた人たちもたくさんいたといいます。

「すべてが無駄になってしまった…」と、

 絶望に沈んだ人も多かったそうです。

 

 玉音放送のなかで語られたのは、

「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、

 未来のために平和の扉を開く」という

 大きな、大きな決断でした。

 

 それは勝者・敗者の枠をこえて、

「これ以上、命を失わないために選んだ道」

 ……だったのだと思います。

 

 平和は、だれかが勝ちとったら

 そこで終わりというものではありません。

 花を植えたら水をあげ続けるように、

 受けとった人が守り、育て、

 次の人へ渡していくもの。

 

 もし手渡す人がいなければ、

 せっかくの平和も枯れてしまうでしょう。

 

 戦争の記憶は、

 時が経つほど薄れていきます。

 けれど、"平和のバトン"は、

 過去を知らない世代にも、たしかに

 受け継がれていると思います。

 

 つまり、ぼくらの手の中にある。

 

 受けとったからには、

 次の人に渡す義務があります。

 それは重い使命のようにも感じますが、

 同時に大切な贈り物でもあります。

 

 年表や数字で、

 歴史を知ることはできます。

 でも、それは写真を見るようなもので、

 当事者が感じた"こころの機微"までは、

 なかなか伝わってきません。

 

 だからこそ、8月15日は、

「できごと」としてだけではなく、

 その裏側にある無数の物語や感情に

 思いをめぐらせる日にしたい。

 

 平和のバトン。

 

 そのことを静かに考える時間を持つこと。

 それが、この先を生きるぼくたちの

 ひとつの責任なんだと思います。

 

 今日も「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。

 

 今日という日にあらためて、

「このバトンを落とさない」と

 こころに誓いたい。