喉元過ぎれば熱さ忘れる。
これは、つらいことも苦しいことも、
時間が経てば忘れてしまうという意味で
よく使われていることばです。
体調を崩したとき、
あれほどしんどかったのに、
元気になって忙しい日々を過ごすなかで、
また不摂生な日々を送ってしまう…
ということはよくあります。
でも、忘れているのかと言われると、
それはちょっとひっかかるんですよね。
そもそも「忘れる」というのは、
どこかにその記憶が残っていた証拠です。
ほんとうになにもかも忘れていたら、
思い出すことすらできないはずですから。
つまり「忘れる」というのは、
なかったことにするというのではなく、
思い出すまで(記憶のなかに)沈んでいたー
という状態が近いような気がします。
しんどかったときの痛み、
胸をしめつけるような不安などは、
なかなか「思い出せない」んですよね。
時間が経つと、
あのとき感じたはずの感覚が
うまく再生できなくなってしまう。
雰囲気だけは思い出せても、
当時のからだの重さや息苦しさ、
ことばにできなかった切なさなんかは、
思い出せなくなってしまいます。
それはたぶん、思い出すことが
人を壊してしまうような痛みや苦しみに、
「思い出さなくていいように」からだが
対応してくるているんだと思います。
喉を火傷してしまった記憶を、
ほんとうにすべて思い出せてしまったら、
大変なことになってしまいますからね。
忘れるというのは、
わるいことばかりじゃないはずです。
なんとか前に進めるように、
からだが守ってくれているのだと思う。
そのうえで、ふとした拍子に、
「あのとき、大変な思いをしたなぁ…」と
思える日が来たらそれでいいのだと。
思い出せることも、
思い出せないことも、
ちゃんと、からだの一部になっている。
今日も「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。
思い出せることしか、
忘れることはできない。