旅先などのように、
馴染みのない環境のなかにいると、
ときどき、変なものが見えたり、
よくわからない音が聞こえて、
ゾッとすることがあります。
でも、落ちついて見れば、
だいたいがなんでもありません。
動いていたのは風に揺れる葉だったり、
不気味な音の正体は、
扉のきしむ音だったりします。
問題はそれを確認するまえに、
「こわい」と決めつけてしまうこと。
そして、それ以上見ないように、
目をそらしてしまうことだと思います。
そうやって放っておくと、ただの気配が、
こころのなかでどんどん大きくふくらんで、
本物の「おばけ」になってしまう。
幽霊の正体見たり枯れ尾花。
このことばは本質をついていると思う。
ほとんどの「こわいもの」は、
向こう側にいるのではなく、
じぶんのなかにあるのでしょう。
目をそらさず見れば、
じつはなんでもなかった。
そういう経験、だれにでもあるでしょう。
世の中には、
「幽霊の標本」なんてものはありません。
ミイラや剥製はあっても、
「これが幽霊です」と言えるものは、
どこにも存在しないのです。
そういうものは、
「あるように見える」だけで、
実際には存在していない。
それでも人のこころを動かしたり、
身動きをとれなくさせたりするとき、
「恐怖」はとても強い道具になる。
「逃げられない"なにか"がある」と
相手に思わせることで、
人の行動をしばる。
こころのなかに生まれたお化けによって、
行動を縛られてしまうことがある。
でも逆に、それを見極めることができれば、
人はもっとのびのび生きられるのかも。
世の中の「こわそうなもの」は、
よく見るとただの枯れススキだったりする。
全部がそうじゃないかもしれないけれど、
そういうことが多い気がしています。
今日も「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。
こわいと思ったときこそ、
よく観察してみるといいと思う。
