なにかができるようになることは、
とても大切なことだと思います。
資格や技術を身につけるのも、
努力の賜物です。
それがあるからこそ、
仕事に就けたり、
だれかの役に立てたりします。
でも、あらためて思うのは、
それらはあくまで「機能」だということ。
学生のときなどに、
「これは将来なんの役に立つのだろう?」と、
だれもか考えたことがあると思います。
それは自然なことだし、現実的でもある。
履歴書のなかで目立つものは、
就職活動で選ばれるための実績です。
一方でそれは、裏を返せば「できること」が
評価されているだけともいえます。
人の機能が前に出すぎると、
「あなたでなくてもいい」になっていきます。
だれかを必要とするのではなく、
その人のスキルや肩書きだけをもとめる。
すると、そこにいる「人」は、
少しずつ見えなくなってしまいます。
たとえば、ある喫茶店を
思い浮かべてみてください。
コーヒーの味だけなら、
たぶん似たようなお店はいくつもある。
でも、そこにはマスターがいて、
ちょうどいい距離感で声をかけてくれたり、
静かに見守ってくれたりするわけです。
コーヒーの味そのものではなく、
マスターの存在ごと心地いいと感じる。
そういうお店には、
「あのマスターがいるから行きたい」と
思わせる力があるのだと思います。
だれかに必要とされるというのは、
「機能があるから」だけじゃないはずです。
「その人だから」という理由で選べれることも
たしかにあると思うのです。
今日も「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。
できる人より、
いてほしい人になれたら強い。