やわらかいまなざし | わくわく海賊団

わくわく海賊団

Compass of Your WakuWaku

 

 いつの頃からか、

「承認欲求」ということばを

 よく見かけるようになりました。

 

 たいてい、いい意味で使われていません。

 

「あの人は承認欲求が強い」と言われると、

 なんとなく皮肉まじりに聞こえます。

 

 この言い方は、ある意味とても便利で、

 だれに対しても当てはまってしまいます。

 

 四六時中、身をひそめて

 暮らしている人ならともかく、

 ふつうに人と関わりながら生きていれば、

「人から認められたい」と思うのは、

 ごく自然なことです。

 

 赤ちゃんも、お年寄りも、

 そしてぼくたちだって、みんな、

 だれかに認めてもらえると、

 うれしくなりますよね。

 

 ぼくがこうして

 人が読むであろう場所に

 文章を書いているのだって、

 空に向かって独り言を

 言っているわけじゃありません。

 

「言われてみればそうだね」

「じぶんも同じこと感じてた」

 そんなふうに思ってもらえたら、

 そこはやっぱり、うれしい。

 

 そういう気持ちが、

「承認欲求が強い」と言われてしまうなら、

 たしかにそうかもしれません。

 

 映画の話を熱く語ったり、

 本を読んで感想を言いたくなったり、

 だれかにおすすめしたいことがあるとき、

 ぼく自身の中にも"そういう気持ち"は、

 ちゃんとあると思います。

 

「承認されたいと思わない人」は、

 ほとんどいないんじゃないでしょうか。

 

 でも、そこに

 正論のように指摘されてしまうと、

 それ以上言い返せなくなってしまいます。

 こういう「言い返せない正論」って、

 ちょっとズルい感じがします。

 

 たとえばだれかが

 愛する人とこころ通わせたとき、

 それを「性欲だ」と言ってしまう。

 あるいはどんなお店であっても、

「あれは金儲けだ」と言ってしまう。

 

 そう言えてしまう部分も

 たしかにあるのだろうけれど、

 そのことばの奥にある思いや営みを、

 なかったことにしてしまうような

 言い方でもあると思います。

 

 だからこそ正論に思えることほど、

 それを口にするときには、ちょっとだけ

 立ち止まって考えたいと思うんです。

 

 ことばのうしろにある

 気持ちや願いに目を向けることで、

 ぼくらはもう少しやわらかく、

 だれかと向き合えると思う。

 

 今日も「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。

 

 正しさでふさぐより、

 思いに寄り添うことばを。