思い出がすべて。 | わくわく海賊団

わくわく海賊団

Compass of Your WakuWaku

 

 ときどき、じぶんの感情を

 抑えこもうとしてしまうことがあります。

 

 すごくうれしいことがあっても、

「調子に乗るな」とブレーキをかけ、

 すごく悲しいことがあっても、

「たいしたことない」と思いこもうとして、

 ちゃんと悲しまなかったりします。

 

 どちらもじぶんの気持ちに素直になれず、

 どこかで抑えこんでしまっているのかも。

 

 でも、あとになって思い出すのは、

 意外とそういう大きいできごとではなく、

 何気ない瞬間だったりするんですよね。

 

 たとえば、親と買い物に行って

 新しいスニーカーを買ってもらった日の夜、

 翌朝学校に履いていくのがたのしみで

 眠れなかった日の天井の模様とか、

 ドアを開けた瞬間に香る

 お気に入りのルームフレグランスとか、

 ふと見上げた交差点のビルに

 昔からずっとある看板の文字とか。

 

 そんな些細な場面が、

 ある日ふっとこころを

 あたためてくれることがあります。

 

 思い出というのは、不思議です。

 

 だれにも邪魔されないし、

 奪われることもありません。

 

 極端に言ってしまえば、

 生きることは思い出づくりかもしれない。

 

 いま起きていることに、無理に

 意味をつけなくてもいいのかもしれない。

「なぜ、こんなことが起きたの?」と

 理由を探さなくていいと思う。

 

「これはいつか思い出になるかも…」

 

 そんなふうに思いながら、

 日々を過ごしてみる。

 

 そうすることで、何気ない日常が、

 かえかげのないものに変わるかもしれない。

 

 吉本ばななさんの小説に、

 こんな一文があります。

 

 生きることには

 本当に意味がたくさんあって、

 星の数ほど、もう

 覚えきれないほど美しいシーンが

 私の魂を埋め尽くしているのだが、

 生きていることに

 意味を持たせようとするなんて、

 そんな貧しくてみにくいことは、

 もう一生よそうと思った。

 

 生きていることには、

 たくさんの意味があると思います。

 でも、それをいちいちことばにして

 意味づけしなくていいのかも。

 

 うれしいこと。たのしいこと。

 おいしいこと。大好きなこと。

 

 そういう気持ちは、

 ちゃんとそのまま受けとめて、

 できるだけたくさん伝えていこう。

 それがだれかのこころのなかに、

 あたたかい思い出として

 残るかもしれなから。

 

 今日も「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。

 

 いま、この瞬間を大切に。