いろんなものごとを考えたり、
いろんなものごとをつなげあったり、
いろんなものごとを広げていったりするとき
その源にあるのは"好奇心"だと思います。
好奇心がなかったら、
なにもはじまりません。
生きる力の源と言ってもいいくらい、
好奇心というのは大切だと思います。
では、もし、そんなに大切な好奇心が、
じぶんのなかに少なくなったと感じたら、
いったいどうすればいいのでしょうか。
こういうのはどうでしょう。
じぶんが嫌いなもの、興味を惹かれないもの
どうでもいいと思っていたものについて、
「それを好きで、求めている人がいる」ことに
「どこがいいのだろう?」と思うこと。
これが好奇心の源になるかもしれない。
たとえば、二郎系ラーメン。
じぶんが好んでいないとしても、
それを並んで食べる人たちがいます。
そこで「意味わかんない…」と言ったら、
それで終了です。終わりです。
「え?どういうところがおいしいの?」と
思うかどうか。それについて訊いてみたい、
あるいは実際に食べてみたいと思うこと、
これが好奇心なんだと思います。
蓼(たで)には、それを食う虫がいます。
その虫はどうしてそれを好むのか知りたい。
言い方によってはそれは"思いやり"です。
"想像力"にも似ているかもしれない。
べつに全肯定する必要はないけれど、
その気持ちに近寄ってみたいと思うだけで、
好奇心は自然と育まれるように思います。
今日も「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。
好奇心を持つことが、
上品なことではない場合もあるので、
そこは注意が必要かもしれない。