性悪説だとか、性善説だとか、
いろんな場面で言いあったりするれけど、
これってそんなにまっぷたつに
分かれる問題なのでしょうか。
性善説をとりたいがゆえに、
人にまちがいを犯させないマナーとして
貴重品をそのへんに放置しない…
そういうことは社会生活の基本です。
性悪説のつもりでいるけれど、
それを取り消したくなるような事実と出合い
とてもうれしくなった…
ということもあるでしょう。
そんなふうに、
対立させないで交流するというのは、
とても大人なやり方だと思います。
だいたいもともと性善説(あるいは性悪説)が
認められなかったら人生真っ暗闇になる、
なんてことないはずですよね。
じぶんはこういう立場である、
こういう陣営である、こういう趣味である、
こういう思想である…と、
「いる場所」を守るのが最大の目的になって、
そうでないものを受け容れないというのは、
なにかを取りちがえていると思います。
いい考えだったり、
じぶんやほかのだれかが喜ぶことは、
取り容れてもいいと思います。
性悪説が敗れるのを見たい性悪説…
というのだってありますよね。
今日も「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。
立場を固定したほうが、
考えなくて済むんでしょうね。