「思う力」や「感じる力」というのは、
生身の人間がいちいち思ったり感じたりを
経験しないと増えていかない気がします。
借りもののことばで、
森羅万象について語ることは
だれでも上手になるけれど、
同じ花を見て「なにを思い感じるか」は、
人それぞれで正解なんてありません。
「あの花は美しい」とだれかが言っても、
"わたし"がその花をどのように感じるかは、
厳密にいえば同じことはないでしょう。
行為というのは、
社会にフィットしている必要があるけれど、
「なにをどう思い感じるか」は自由です。
ただ"思う"だけなら罪にはならない。
「そんなこと思うな」と抑圧もされなない。
ほんとうはそうあるべきでしょう。
社会における正解に
フィットすることだけしか
"思う"ことを許されないなら、
思いは滅びてしまいます。
今日も「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。
ただ、思いや感じたことを
なにかに書いたり言った時点で、
それは"行為"になるので気をつけないと。