倫理のものさし | わくわく海賊団

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 たいていの問題は、

 構造的欠陥がその要因だと思うので、

 だれかが責任をとってやめたとしても

 問題の(本質的な)解決にはならず、

 ことは繰り返されてしまいます。

 

 仕組みに問題があるのだから、

「あいつ」の代わりがやってきても

 つぎの「あいつ」が生まれるだけです。

 

 にもかかわらず、いま、

 世の中のいろんな問題が、

 倫理観で裁かれている気がします。

 

 問題が起こった場において、

 だれが悪人なのかを"空気"で決定させて、

 それが確定したタイミングから全員で

 その人間のことを叩いて良しとする。

 

 でも、世の中には善と悪の

 絶対的基準なんて存在しませんよね。

 

 鎌倉時代の倫理観と、

 現代社会の倫理観はちがいます。

 

 平成の倫理観と、

 令和の倫理観だってちがう。

 

 戦火のなかで育った子どもと、

 戦争を知らない子どもの倫理観もちがう。

 

 じぶんが持っている倫理のものさしだけで、

 判断してしてしまっていいのだろうか。

 

 じぶんが信じて疑わない倫理観だって、

 いともかんたんに古びてしまうものかも。

 

 たとえば、いま、目の前で、

 なにかの議論がはじまったとして、

 その議論をしている全員の共通認識で

「これはこういうもんだよね」という

 "ものさし"を疑ってみるというのは、

 大事なことのように思います。

 

 今日も「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。

 

 だれかひとりを悪人にして

 問題を解決させるというやり方は、

 そろそろやめたほうがいい。