もしもなんでも聞こえる耳を持っていたら、
いったいどうなるかと想像してみます。
なんでも聞こえる耳ですから、
知っている人たちのたわいもない話も、
知らない人たちのどうでもいい話も、
知っている人たちのこころにもない悪口も、
知らない人たちの無責任なことばの毒も、
ぜんぶ聞こえるということになります。
これはおそらく、
こころが耐えられなくって、
壊れてしまうでしょう。
聞こえてよかったことも、
そりゃきっとあるだろうけれど、
聞こえさえしなければ、
喋っていることを知らなければ、
こころ穏やかでいられたこともあるはず。
これは耳だけの話ではなく、
おそらく目も同じだと思います。
そしていま、SNSによって、
目はいろんなものを見てしまいます。
わたしはあの人が嫌いだ(よく知らないけど)
あの人にこんなことされた(うそだけど)
あの人はかつてこんなひどいこと言った。
あの人はきっとこころのなかで、
こんな悪いことを考えている。
生まれたときからデジタルに囲まれて育った
いわゆる"デジタルネイティブ"の子たちは、
そういう環境に慣れているから大丈夫…
たしかにそういう部分もあるだろうけれど、
人間の根本は昔から変わらないのだから、
そういう状況にさらされ続けたらやっぱり
こころは壊れてしまうんじゃないかな。
今日も「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。
「便利は不可逆」というように、
それがなかった時代には戻れないけれど、
余計な情報をとり過ぎていると感じたら、
情報の断捨離も必要なんだと思います。