座禅を体験したとき、
和尚さんがこんな話をしてくれました。
「瞑想や座禅をすることで、
わたしたちが"生かされている"感覚を
ぜひ体験してみてください。」
最初は意味がわからなったけれど、
実際にやってみると"生かされている"感覚…
なるほど、こういうことかと思いました。
じぶんという
主体が息を吸っているのではなく、
じぶんの意思とは無関係に身体が脈を打ち、
空気が出入りしていることがわかります。
じぶんという存在も
大きな自然のなかの一部であり、
じぶんという存在は和尚さんの言うところの
"生かされている"存在であることに気づく。
体験座禅だけで
知ったようなことは言えないのだけれど、
この"生かされている"感覚や、
世界からじぶんの居場所を与えられている…
そういう感覚を持つことができると、
世界の見え方が劇的に
変わるのだそうです。
いつかこの世から消えていく
儚い存在と思うことはなくなり、
死んだあとにじぶんの意識は消えても、
じぶんと世界のつながりは消えない
とすら思えてくるんだといいます。
これ、仏教用語で、
世の中のすべてのものはつながりあっていて
個として独立しているものはひとつもない
という意味の"諸法無我"というそうです。
今日も「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。
"わたしらしく"を意識し過ぎることは、
生物としては不自然なのかもしれない。