卓球でメダリストの水谷隼選手が、
子どもたちに聞かれていちばん困るのが、
「五輪に出るにはどうすればいいですか?」
と質問されることなんだそうです。
たのしく卓球するには、
絶対オリンピックは目指さないほうがいい。
じぶんがここにたどり着くまでに
犠牲にしてきたもののことを考えると
かんたんには答えられない…
この子のためを思えば、
ほかの道を選んだほうがきっとずっと
しあわせになれると思うから。
そういう理由で、
「1万時間練習してから、
もういちど聞きにきてください」
と答えるんだそうです。
「身を粉にして」とか、
「寝食を忘れて」とか、
「ひとの何倍も」とか、
過剰なまでに努力するひとの成功物語は、
みんな大好きだと思います。
異常だと思われるくらいにやることや、
別世界にいるかのように夢中になることが、
なにかを成し遂げるためには、
とても大事なことだとも思います。
ただ、そういうひとの物語が、
どうしてこころに響くのかといえば
"めずらしいから"だと思うのです。
つまり、たいていのひとはできない。
ほとんどの人間は、
平々凡々に生まれて生きて死んでいく。
これは、ありがたいことでもあり、
ちょっと残念なことかもしれないけれど、
いいことだと思っています。
この平凡が否定されるなら、
人間の歴史も存在も否定されることになる。
ただ、平凡を生きるひとにとって、
過剰なまでに努力できる"めずらしいひと"は
励みであり、娯楽であり、あこがれです。
それをじぶんも、と、
「身を粉にして」「寝食を忘れて」
「ひとの何倍も」がんばってしまったら、
その反作用は必ず受けてしまいます。
いのちを削るようなことをしたら、
いのちは削られてしまうんですよね。
水谷選手が言っていることは、
きっとそういうことなんだと思います。
今日も「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。
オリンピック選手の"その後"の話に、
びっくりするほど不幸な話が多いのも、
バランスの崩れが要因なのかも。
