オリンピックで感じたのは、同質性。 | わくわく海賊団

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 オリンピックが閉会しました。

 

 多様性ということばが、

 ひとつキーワードとして

 注目された大会でした。

 

 多様性ということばは、もともと

 さまざまな生物種が存在していれば

 環境に大きな変化が起きたときに

 いくつかの種が絶滅したとしても

 一部の種が生き残る可能性がある、

 という生態系の進化の観点での

 ことばだったと思います。

 

 しかし、いま、

 多様性ということばは、

 男性中心組織に女性を参加させたり

 外国人を積極的に採用したりと、

 そういう場面でつかわれることが

 多くなっているように思います。

 

 背景や能力が"ちがう"人たちを

 集めようというニュアンスなんだと

 つかわれる場面から感じられます。

 

 でも、なんでもかんでも

 "ちがう"を集めてくればいい…

 そういうわけではないはず。

 

 多様性の本質は、

「なにがちがうか」の異質性ではなく

「なにが同じか」の同質性です。

 

 "ちがう"を考えるためには、

 その土台になっている"同じ部分"を

 必ず考える必要があるからです。

 

 今回のオリンピックでも、

 世界各国から東京に来てくれた

 さまざまな国の人たちを見て、

 ぼくたちと"同じ部分"を

 たくさん感じられました。

 

 ぼくたちと

 同じようなことで喜び、

 同じようなことで怒り、

 同じようなことで哀しみ、

 同じようなことで楽しむ。

 

 多様性とは、

 それ自体が目的ではなく、

 共通の目的を達成したいと考える

 同質性を持つものたちが集まり、

 これからの変化の激しい時代を

 対応していくために(手段として)

 確保する異質性というのが

 本来の意味だと思います。

 

 平和という共通の目的を持つ

 "同じ"人たちがこの東京に集まって

 ほんのちょっとの"ちがい"を

 楽しむように認め合う。

 

 パラリンピックもたのしみです。

 

 今日も、「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。

 

 さまざまな考え方の人がいて

 成り立っているこの世界だけど、

「地球のため人類は滅亡すべし」と

 主張する人を許容することが

 多様性ではないということ。