だれかを否定したことばは、
無意識にじぶん自身にも向かうので
否定ばかりを口にしていると
自身の首を締めることになると
個人的には思っています。
たとえば、ダサい。
「おまえダサいね」は、
「=わたしはダサくない」です。
でも、ダサいかどうかは、
じぶんでは決められないはず。
まわりのみんなが、
「ダサい」と言わないことで、
じぶんはダサくないと思っている。
ほんとうは、ただそれだけです。
ポイントは"否定"が
じぶん自身で決められないことで、
「ダサい」と相手に言った瞬間から
たえずじぶん自身のことを
「じぶんはダサくないか」
監視することになる。
これはつらいと思うんです。
その集団の価値観から、
逸脱しないようにたえず注意して
生きるということですからね。
「だらだら」を否定した瞬間から
じぶんの世界から「だらだら」を
否定しなくちゃいけなくなる。
そうやって毎日、
チェックリストばかりながめて
生きていくのはツラいな。
今日も「わくわく海賊団」にきてくださってありがとうございます。
否定であふれるというのが、
チェックリスト(監視)が増える
社会ということなのだとしたら、
うわぁ、すごくイヤだなぁー。