「わたしがやります」の宣言なしに
なにかがはじまるということは、
ほとんどないのかもしれません。
「おまえがやれよ!」
「これはキミにお願いするね」
そんなふうに
だれかにお願いされることは、
ま、たしかにあるけれど、
「キミに任せた」という状況も
ほとんどがそれ以前のどこかで
「わたしがやります」ということを
宣言していたんじゃないかな。
ありとあらゆることの
"はじまり"に「わたしがやります」
手をあげる瞬間があると思う。
なにかを成し遂げる過程において、
必ず"評価される側"に立たなければ
ならない瞬間があると思うんです。
行動するということは、
評価されるということです。
手をあげた人に対して、
人は評価するんでしょう。
批判も、賞賛も、
そこからはじまるんだ。
手をあげようと思う瞬間、
勝海舟の言葉は勇気をくれます。
"行蔵は我に存ず
毀誉は他人の主張
我に与らず我に関せずと存候"
(行動はオレのもので、
批判は他人のものだから、
オレの知ったこっちゃない)
今日も「わくわく海賊団」にきてくださってありがとうございます。
じぶんに有益な評価を
聞き分ける能力というのは、
なんらかの形で他人から
評価されることが可視化され
あたりまえになる時代において
重要なチカラになりそうです。
