「この恋が実りますように」と
お祈りしている乙女がいたなら、
「ああ、うまくいったらいいね」と
応援したい気持ちになります。
でも、その子の恋が叶うことは、
だれか他の子の恋が叶わぬことと
同じかもしれないわけですよね。
すべての人に公平な社会は、
すべての人の恋が叶うことと同じで
実現できないんじゃないかな。
そして、ほんとうは、
みんなそのことに気がついている。
音楽がすばらしいと語る。
しかし、耳が不自由なために
音楽をたのしめない人もいます。
こどもを持つよろこびを語る文章を
こどもの産めない夫婦が読むことも
じゅうぶんに考えられるわけです。
純粋に花の美しさに感動して、
「なんて綺麗な花なんだ」と語るとき
「目が不自由な人の気持ちを考えろ」
と、だれかに叱られたなら、
その人がこれからなにかを語るとき
気持ちにブレーキをかけながら
花の美しさを語るようになるかも。
いままでと同じようには、
表現できなくなるかもしれない。
もし「すべての人に公平を」と、
本気で考えて実現しようと思ったら、
目標にするべき表現のお手本は
「官僚的表現」なんだと思います。
ときに彼らの表現が
冷たく感じられてしまうのは、
ありとあらゆる方面の人たちに
配慮しようとした結果であって、
すべての人に公平を目指したとき
官僚の表現基準が最高でしょう。
思ったことをなんでも、
表現すべきだとは思いません。
配慮がいらないとも思わない。
でも、ぼくの心を動かした文章は、
「すべての人のため」に書かれた
文章であることは少ないかも。
今日も「わくわく海賊団」にきてくださってありがとうございます。
恋愛は不公平だからこそ、
すばらしいんだと思います。