悲観主義は気分によるものであり、
楽観主義は意志によるものである。
気分にまかせて生きている人は
みんなかなしみにとらわれる。
いや、それだけじゃない。
やがていらだち、怒り出す。
ほんとうを言えば、
上機嫌など存在しない。
気分というのは
正確にいえばいつも悪なんだ。
だから、幸福とはすべて意志と
自己克服によるものである。
アランの幸福論
ことあるごとに
このアランの幸福論を
思い出して考えるのですが、
明るいってもうただそれだけで
基礎点かなり高いと思います。
ふつうにしていれば
明るくはいられない人間が、
明るくいようと思うその意志が
もうすでにとっても素敵です。
そういえば、
なにかあたらしいことを
「やるやらない」を考えるときも
これに似ている気がします。
ふつうにしていれば、
(気分にまかせて生きているなら)
絶対にうまくいくことならば
「やりたい」と思うけれども、
ほとんどの場合そうじゃないから
「やらない」を選ぶ気がします。
やったことがないことは、
わからないことも多いですし、
いたい目にあうかもしれない。
ふつうにしていれば、
リスクを避けて生きる人間が、
「やるやらない」でゆらゆらゆれて
どちらにゆれが止まるかといえば、
「やめておこう」でしょうね。
気分のままに、自然に、
「やめておこう」の経験を
重ねつづていくうちに、
ゆれることさえしなくなる。
「やる」には意志がある。
結果はどうであれ、
「やる」と決めた時点で
もうすでに素敵です。
今日も「わくわく海賊団」にきてくださってありがとうございます。
動かないというのは、
自然界の最大の防御だけど、
生物の最大の特徴もまた
「動」というのがおもしろい。