いまさらはじめるの?
前からやっている人だとか、
かつてやっていた人からしたら、
これからピアノをはじめる人も、
これからドラッカーを学ぶ人も、
これからだれかのファンになる人も、
これからジョギングする人も、
みんな"いまさら"に見えるらしい。
だから、じぶんはもうとっくに
やっていたという自慢の意味をこめて
「いまさらはじめるの?」なんて笑う。
先にやっていたこと、
先に知っていたことが、
あたかもすばらしいことのように
見せかけるために"いまさら"と。
そういえば、アメリカという国は、
先にやっていたこと知っていたことに
たいした意味なんてないじゃない…
そんな価値観を持った国な印象です。
歴史あるヨーロッパに対して
新しくできたアメリカ合衆国は、
伝統や歴史(=時間)に重きを置く
価値観のなかでは太刀打ちできない
と、考えたんじゃないかな。
先輩方が"いまさら"と笑ったって
じぶんが"おもしろい"と思ったならば
やってみたらいいじゃない。
さんざんやりつくした分野の研究も
"いまさら"はじめてみたら、ほら、
新しい発見がまだまだありましたよ。
そうやってできてきたのが、
Apple、Google、Amazon、
Facebook、Twitter…
いまのアメリカの中心企業かな。
じぶんのやっていることが
正しいに決まっていると信じて
疑わないような場面からは、
期待できるものってあんまり
生まれないような気がします。
見てきたものや聞いたこと
いままでおぼえたぜんぶ
でたらめだったらおもしろい
そんな気持ちわかるでしょ?
情熱の薔薇(作詞:甲本ヒロト)で
ブルーハーツが歌っているように
じぶんがいままでやってきたこと
信じて支えられてきたものに対して
迷いだとか、問いかけだとか、
揺れだとか不安定さというのかな、
そういうものを抱えながらの
"いまさら"やってみるって、
大事なことのように思います。
一流の寿司職人が、
"いまさら"米の炊き方からとか
言い出したとしたならば、
その炊いた米をつかった寿司を
凄く食べてみたいと思うもの。
今日も、「わくわく海賊団」にきてくださってありがとうございます。
大人になってから
"いまさら"小学校のドリルを
はじめるのって思っている以上に
かんたんじゃないんですよね。
でも、そこに発見があるんだろうな。