ものを持たない時代にほしいもの | わくわく海賊団

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 これまでの豊かになるとは、

 より多くを所有することでした。

 

 食料からはじまって、

 衣服、家電、車、家、不動産、

 お金、会社(生産手段)…

 なんでもたくさん持っている人が

 豊かであるとされていました。

 

 でも、いまは、

 豊かな人ほど持たない

 時代なのかも。

 

 マイカーよりレンタカー

 カーシェアリング、タクシー。

 本やCDやDVD(Blu-ray)は、

 ストリーミングやダウンロード。

 冠婚葬祭の衣服などのように

 使用頻度の低い物はすべてレンタル。

 家具や家電のレンタルもあります。

 

 所有することの合理性は、

「いつでも使用できること」でしたが、

 Amazonでボタンを押せば

 1時間以内に商品が届く時代に

〈冷蔵庫の中〉をいっぱいにしておく

 コストやリスクのある所有の必要性が

 小さくなるのもわかる気がします。

 

 でも、同時に、なにか

「大事にするもの」を持っていたい

 気持ちもあるんじゃないかな。

 

 身の回りのほとんどが、

 レンタル品や使い捨ての商品

 大量生産された「粗末にできるもの」

 で囲まれている時代において、

「大事にするもの」がほしくなる。

 

 たぶん、ちょっと前の時代には、

「いえ〜い、使い放題だぜぇ!!」と

 粗末にできる快感というのがあって、

 あらゆるものが粗末にできないゆえに

 粗末にできるということの贅沢を

 存分に感じていたのかもしれない。

 

 でも、いまの時代に、

 粗末にできることの快感はないです。

 むしろ、なにもかも粗末にされていて

「あ、じぶんも粗末にされている…」

 なんて落ち込むこともあったりして。

 

 きっと、所有することの

 必要性が小さい時代において、

 だれかに使ってもらうためには

「粗末なもの」であったほうが

 都合がいいのかもしれません。

 

 でも、そのままでは、

 ただただ便利に粗末にされて

 おしまいになってしまう。

 

 そこから、なんとかして、

 多くの人が潜在的に欲している

「大事なもの」に変化しないかぎり、

 抜け出せないのかもしれない。

 

 価格競争とかの仕組みも

 つまりそういうことですよね。

 

 今日も、「わくわく海賊団」にきてくださってありがとうございます。

 

「大事にするもの」があることは、

「めんどくさいこと(コスト)」が

 あることなのかもしれないけれども、

 しかし、だから、それがほしい。