公平です。公(おおやけ)の平(たいら)と書きます。 | わくわく海賊団

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・公(おおやけ)の場で

 なにかを言おうと思うと、

「公平性」を意識します。

 

 この「公平」というのは、

 ほんとうにむずかしいです。

 

 SNSでだれもが

 公(おおやけ)の場で発言する

 機会を得たわけですけれど、

 影響力のある人であればあるほど

 思いもよらないところから

「こらーーー!!」と、怒られる。

 

「いいお天気ですね」と言えば、

「こっちは大雨強風です。不謹慎だ!!」

 なんて言われてしまうことも。

 

 それでですね、

「公平性」といえばこの人たちの、

 スペシャリスト集団がおりました。

 お役所のみなさんです。

 

「お役所仕事」と

 揶揄されることもあるけれど、

 こと「公平性」に関しては

 リスク管理が徹底しています。

 あの「官僚的」な表現方法は

「公平」を強く意識したものでしょう。

 

「公平」を限りなく求め、

「公平」を限りなく守ろうとすれば、

 最終的には「官僚的表現」に

 行きつくような気がします。

 

 感想をなるべく排除するのは、

「景色がきれいですね」と言えば、

「その景色が見えない人の気持ちを

 あなたはまったく考えていない」

 と言われてしまうだろうし、

 感情をなるべく排除するのは、

「ここの祭りはたのしい」と言えば、

「祭りに参加できない人の気持ちを

 考えたことがありますか?」

 と怒られてしまうからでしょう。

 

 そういうリスクを

 なるべく低くする方法が、

 官僚的な表現方法なんだろうな。

 徹底的に「公平」を意識して

 表現することを考えてみるならば

「なにも発言しない」を除けば、

 この方法以外は思いつきません。

 

 官僚的表現をしたいとは、

 ぼくは思いません。

 

 だからと言って

 他人を傷つけていいとも

 思っていない。

 

・人生は公平じゃない。

 

 そう言い切ったのは

 ビル・ゲイツさんです。

 

 勝手に続きを付け加えてみました。

 

「人生は、公平じゃない。

 ほんとうはみんなそのことに

 とっくに気がついているはずだ。

 公平な恋なんてなかっただろう?

 でも、大人はみんなそれを隠す。

 ほんとうは公平が「ない」ことに

 気がついているのに、まるで

「ある」かのようにふるまう。

 

 そこをわたしは否定しないよ。

 必要なことだとも思っているしね。

 でも、「ない」ものを

「ある」といっている大人を

 子供は不思議に思っているよ。」

 

 今日も、「わくわく海賊団」にきてくださってありがとうございます。

 

「う◯ち」や「お◯んちん」を

 子供が大好きなのは、たぶんきっと

「ある」のに「ない」もののようにして

 社会がまわっていることに気づいてて

 じぶんが毎日見ている「ある」ものを

「ない」ことにしている大人の反応を

 おもしろがっているのかも。