死んでしまいたいと思うほど
学校に行くのがイヤなはずなのに
学校に行くのをやめられない。
朝も晩もずっと会社で働いていて
生きていることに疲れてしまうほど
ヘトヘトなはずなのに休めない。
人はいろいろな場面で、
「がんじがらめ」になりますね。
恋人といっしょにいない時間に
恋人の一挙手一投足が気になるのは、
恋人に「がんじがらめ」ですし、
公園デビューのお母さんが
いろんなことに悩んだりするのは、
近所の噂に「がんじがらめ」かな。
でも「がんじがらめ」から
いったん抜け出してしまうと、
どうしてあんなことで、と
思えたりするんですけれども、
その最中は、むずかしい。
もしかしたら「がんじがらめ」が
気持ちよかったりする場合もあるから
こうなると、どうにもならないです。
学校も、会社も、恋人も、
あ、ご近所の噂もたぶんきっと、
その人にとって大きな意味を持ち
なんらかの魅力を持っています。
「がんじがらめ」に
なれるものがあることが、
幸せだとも言えるかも。
恋人に「狂えない」見事な距離感の
クールな恋人同士がいたとしても
どうでしょう、なんだかつまらない。
でも「がんじがらめ」は、
束縛が多くて自由な行動が
まったくとれないことですから、
動きがないという状態ですよね。
生き物としては、不自然です。
自然界の法則では、止まると腐る。
じぶんがなにかに
「がんじがらめ」と感じているなら
そこから離れてみるのもいいのかも。
ドラマ「最高の離婚」で、
「結婚だって、離婚だって、
どちらも目的は幸せになるために
することじゃないですか?」
と、いうセリフがあるけれど、
幸せになるために距離をとるって
ぼくはおかしくないと思います。
今日も、「わくわく海賊団」にきてくださってありがとうございます。
郷ひろみさんが『よろしく哀愁』で
「会えない時間が 愛育てるのさ」と
歌っていたけれど(作詞:安井かずみ)
たがいにじぶんの力を発揮して
生きていくために距離が必要なら
ほんとうに『よろしく哀愁』だなぁ〜