有名なバンドマンが
「音楽をはじめた理由は?」と訊かれ、
「もてたかったからです。」なんて
答えている場面をよく見ます。
何度もそういう場面を見ていて
ちょっと思ったんですけれど、
たいていのことが「もてたい」で
はじまるんじゃないかな、と。
「人間のすべての行動は
生殖行動(=もてたい)に起因する」
なんていう仮説もあるけれど、
サッカーをやっている人も
バスケや野球をやっている人も、
「カッコいいと言われたい」だの
「もてたい」という、いわゆる
〈不純な動機〉が最初はあったかも。
「もてたくてはじめた」が、
すべての〈はじめた動機〉では
もちろんないのだろうけれど、
人間の行動の深層心理に
異性を意識した動機(=もてたい)が
あるという仮説も、あながち
まちがいではないように思えます。
でも、たとえば、
有名なバンドマンの
音楽に対する気持ちが、
今も不純なままである
とは思いません。
〈不純な動機〉ではじまったことなのに
だんだんやっていくなかで、
知らぬ間に不純さが消えていくことは
たぶんあるんじゃないかな、と。
練習しているときには、
「あぁ、もてたいぜ」なんて
たぶん考えていないでしょう。
でも、もてたくて音楽をはじめた
動機は今も忘れていませんから、
そういう若者を見れば、笑顔で
「いいぞ、やれやれ」と応援する。
バンドの世界のことを
ぼくは詳しく知らないけれども、
才能ある若者が次々と出てくる流れは
すべて理解したうえで笑顔で応援する
先輩バンドの「いいぞ、やれやれ」が
あるようにも思えてきます。
音楽もサッカーもバスケも野球も…
どんなことでもそうだと思いますが、
ほんとうの魅力やたのしさなんてのは
入口付近で見つけられるはずがない。
たとえば、音楽道の中間くらいに
「音楽のほんとうの魅力」があるとして
そこにたどり着くまでの不純な動機は
大事なエネルギーなんじゃないかな。
今日も、「わくわく海賊団」にきてくださってありがとうございます。
「当社を志望した理由は?」
「もちろん、もてたいからです。」
「ふふふ。いいですね。」
不純な志望動機を認めている会社は、
若手の育成が得意なイメージです。
もちろん勝手なイメージですけれど。