もうすぐオリンピック(リオ)が
はじまりますね。
いろいろな問題が指摘されていて、
「オリンピック〈なんて〉
べつに出なくても構わない。」
という選手もたくさんおります。
金メダルって、
すべての人が喜ぶものだと
思っていたけれど、
最近はそうでもないみたい。
それぞれの競技団体のリーグや
大会で優勝するほうが価値があると
思っている人がたくさんいますね。
次回の東京オリンピックの頃には
いろいろ改革がなされるのかな。
オリンピックの価値上げは、
IOC(国際オリンピック委員会)の
大事な課題なのかも。
オリンピックでの金メダルでさえも
このような状況のなかで、
誰もが喜ぶ凄い賞がありました。
主義主張、体制、宗教、
すべてが異なる国においても
この賞だけはみんな欲しいと思い、
貰ったらとても喜ぶ賞です。
ノーベル賞です。
誰もが喜ぶって、
よく考えたら凄いことですよね。
「あいつに誉められても
べつに嬉しくないやい。」
ということもあるはずなのに、
そうはならないんですからね。
その証拠に、ノーベル賞以外で
世界中の誰もが貰って喜ぶ賞って
ちょっと思い浮かびません。
誰もが貰って喜ぶ
ということの凄さの本質は、
〈価値観を決めている〉
ということだと思っています。
ちょっと極端な例ですけれど、
原子力発電における画期的な
大発見をした科学者と、
自然エネルギーにおける画期的な
大発見をした科学者がいたとして、
どちらにノーベル賞を与えるかで
今後、その分野への国からの予算にも
大きな影響があるはずです。
つまり、ノーベル賞は、
「世界はこうあるべき」
という価値観を
提示しているともいえそうです。
じぶんたちの価値観を
これほど強烈に打ち出せば、
ふつうは「何を言っているんだ!!」と
叩かれるのがあたりまえですが、
ノーベル賞は誰もが喜ぶ賞ですから、
その価値観こそが正しく、
気高く立派で重要なものである、と
思わせることに成功しています。
中立的に見えていますよね。
今日も、「わくわく海賊団」にきてくださってありがとうございます。
医療の科学的進歩や、
ロボット学における倫理的な問題も、
どの研究の誰がノーベル賞を
受賞するかどうかということで
未来の指針が決まるんでしょうね。