おざなりにも
こうして毎日文章を書いていると、
じぶんが日本語を知らないことを
日々痛感しております。
日本人なのだから
日本語マスターであると思いきや、
その足元にも及ばない、と。
先日、外国の友人から、
「日本語は、地域によって
言葉がぜんぜんちがうけれども、
日本人はすべて理解しているのか?」
と訊かれました。
言われてみれば、たしかに。
鹿児島弁は暗号になるほど理解不能で
かといって、青森の津軽弁なら
理解できるのかといえば、
それもどうやら、あやしい。
鹿児島の人と青森の人が
土地の言葉で話そうものなら、
通訳(共通語)なしでの意思疎通は
おそらく無理でしょう。
日本よりも広大な土地を持つロシアは
あれだけ広い国土にもかかわらず
互いに通じあわない方言はないそうで
なんなら独立したウクライナとだって
多少の訛りはあれど、
しっかり通じあえるんだとか。
フランス語とイタリア語は、
どちらもラテン語が元になってるので
鹿児島弁と津軽弁ほどの
ちがいはないそうです。ですから、
フランス語が分かれば、イタリア語も
イタリア語が分かれば、フランス語も
とりあえずは理解できるんだとか。
ブラジルのサッカー選手が
スペインリーグへ移籍することに
言葉の壁は、ほぼないそうです。
ブラジルの公用語はポルトガル語で、
スペイン語とポルトガル語は、
東京語と京都弁ほどのちがいしか
ないんだそうですからね。
でも、彼らが日本語を
羨ましがる声もありましてですね、
たとえば、こんなのです。
「あっ!!海だーーー」
「うむ、海だな。」
「まあ、海よ。」
「見たまえ、海だぞ。」
「あら、まあ海ね。」
英語圏の作家さんが書いた文章は
「彼が言った」「彼女が言った」を
つけなければなりません。
男性女性が区別できないからです。
言葉遣いだけで、
(心が)男性か女性かを
ある程度理解できることは
海外の人からすると
羨ましいことのようです。
今日も、「わくわく海賊団」にきてくださってありがとうございます。
「まあ、海ね。たまんねぇー」
とか言い出すと、
「〜と彼女は言った」を
日本語でもつけないと
いけなくなるんだろうな。