動物園で気がついたこと「ためを思ってするアドバイスはだいたいがお節介かもしれない」 | わくわく海賊団

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 動物園に行ったとき、

 個性的な動物をみたときの

「ツッコミ」って、動物側からすれば

 よく考えたら余計なお世話ですよね。

 

 手長ザルさん。手、長いね。

 ゾウさん。鼻、長いね。

 

 あんなに長いと(短いと)

 邪魔じゃないのかしら。

 

 もっと(わたしみたいに)こうすれば

 生活しやすくなると思うのだけど。

 

 わたし(人間)に近いほうが

 生き物として合理的に暮らせるよ、

 なんていう「ツッコミ」に

 動物が喜ぶとは思えなくて。

 

 あ、これ。

 真剣に話しているわけじゃ

 ありませんからね。

 

 ただですね、人間の社会でも、

「ああすればいいのに、

 こうすればいいのに。」という

「ツッコミ」が

 お節介じゃないことって

 あんまりないよなぁ、と思いまして。

 

 ぼく自身も後輩と話しているときに、

 その類の「ツッコミ」をうっかり

 してしまうことがあります。

 その度によくなかったと反省します。

 

 その類の「ツッコミ」って

 じぶんのなかで経験したことだとか

 ある程度「正解」が見えているときに

 ついついしてしまうんですよね。

 

 でも、その(じぶんのなかでの)

 正解を後輩の正解と同じと考えること

 またはオススメすることこそが

 お節介なんじゃなかろうか、と。

 

 手長ザルに、ゾウさんに、

 こっちのほうが合理的でいいよ、

 とオススメするような

 お節介に似ているんじゃないかな。

 手長ザルが、ゾウさんが、

 生物学的にどのような理由で

 そのように進化したかを知らなくても

 そのくらいは分かります。

 

 そもそも、地球で暮らすには

 こういう姿形がいちばん合理的だと

 科学的に証明されたとしても、

 すべての生物がそうなった世界は

 ちっともおもしろそうじゃない。

 

 好きな子がじぶんのことを

 好きかどうか分からないで

 モヤモヤしているときのおもしろさ。

 恋愛はその時期がいちばん

 たのしいんだとよく言うけれど、

 いきなり「あの子の好きな子はね」

 なんて正解を言われてしまえば、

 そこでなにか終わってしまう。

 

 無駄や、回り道、遠回り。

 分からないときにこそある

 おもしろさ。

 

 大事にしたいと思うのです。

 

 今日も、「わくわく海賊団」にきてくださってありがとうございます。

 

 ちょっと格好つけて言えば、

 非効率、無駄、遠回り。

 なんだかよく分からないもの。

 それらの集大成が、つまり

「文化」と呼ばれるように

 なるんじゃないかな、と。