オバマ大統領が広島を歴史的訪問「大統領がスピーチした平和記念公園を創った凄い日本人の想い」 | わくわく海賊団

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 占領下の日本で、

 広島市の顧問を務めた

 イギリスの建築家は、

「五重塔」のような平和記念塔を

 作ろうとしていたんだそうです。

 

 建設候補地も今の場所とは

 まったく違う場所だったとか。

 

 しかし、ひとりの日本人が

 原爆ドームのある今の場所にこだわり

 平和記念公園を建築したそうです。

 

モニュメントが

 ひとつあったところで

 なにが残るというのか。

 市民に忘れ去られるだけだ。

 広島は他の戦災都市とは違う。

 世界平和の根拠地だ。

 

 東京都庁などを設計し、

 建築界のノーベル賞といわれる

 プリツカー賞を

 日本人で初めて受賞した

 世界の丹下(たんげ)こと、

 丹下健三さんです。

 

 当時、原爆ドームは取り壊す

 という声が大半だったそうです。

「悲しい記憶を想起させるものは

 復興にそぐわない。」

「維持費など経済的ではない」

 

 しかし、丹下さんは

 残すべきだと考えました。

 

 平和は訪れるものではなく、

 闘いとらなければ

 いけないものである。

 平和は自然からも神からも

 与えられるものではなく、

 人々が実践的に

 創り出していくものである。

 この広島の

 平和を記念するための施設も

 与えられた平和を観念的に

 記念するためのものではなく、

 平和を創り出すという建設的な

 意味を持つものでなければならない。

 

 丹下健三

 

 慰霊碑のアーチの先に

 原爆ドームが見えるのも、

 慰霊碑から原爆ドームを結ぶ線を軸に

 原爆の遺構、資料館、広場、

 そして、祈りを捧げる場所が

 すべて収まっているのも

 計算されての設計です。

 

 爆心地としての

 広島が持つ悲しい記憶と、

 平和への想いが生まれる施設。

 平和記念公園という場所は、

 丹下さんの言葉をかりるのなら

「平和をつくりだす工場」

 である、と。

 

 丹下さんの想いが象徴的に

 表れているエピソードがひとつ。

 

 平和記念資料館の1階です。

 ピロティという

 高床式建築になっていて、

 つまり、1階は柱だけで

 2階から資料館なんですよね。

 

 当初は、「使いづらい」「非効率」

「無駄」「経済的でない」などの

 批判があったそうです。

 

 しかし、今日、

 それをいう人はひとりもいません。

 

 アメリカの現職の大統領が

 広島を訪れました。

 

 当然、何万人もの人たちが

 いろいろな想いを持って

 記念公園に集まります。

 

 いや、集まることができます。

 

 1階が柱だけの資料館は、

 公園に何万人もの人たちが

 平和を祈り集まることを想定して

 設計されているからです。

 

 私たちは、この広島の真ん中に立ち、

 私たちは、想いを馳せます。

 この原爆が落とされたときに、

 想いを馳せています。

 子供たちの苦しみを思い起こします。

 子供たちが目にしたこと、

 声なき叫び声に耳を傾けます。

 私たちは、罪のない人たちが殺された

 このむごい戦争によって

 殺されたことを記憶します。

 これまでの戦争、

 これからの戦争の犠牲者に

 想いを馳せます。

 そして、歴史を、真っ向から

 見据えなくてはいけません。

 

 アメリカ合衆国大統領

 バラク・オバマ

 

 今日も、「わくわく海賊団」にきてくださってありがとうございます。

 

 現職の大統領であるオバマさんが

 広島に来たということも

 歴史的なことでは

 あるのだろうけれど、

 被爆者の方とオバマさんが

 笑顔で会話されているあのシーンこそ

 歴史的なことだったな、と。

 

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