大学で法律を学んだけれど、
法律の内容には
正直興味がありませんでした。
それなら何を勉強していたんだ、
といわれれば、ほとんど
じぶんの興味あることばかりで、
つまり点数にならない勉強ばかり
していたような気がします。
そんななかでも、
すごく大好きな教授がいて、
その教授が1年生のときの
いちばん最初の講義で
開口いちばんにいったことばに
メロメロになりました。
教授は、六法全書を指差して、
「このなか(六法全書)に、
正しいことなんて書いていない。
してはいけない、ことが
ただ書いてあるだけだ。」
法律は、
「人間は、ほうっておくと
悪いことをする」
という考えを基にできています。
ほうっておくと
悪いことをする人間が、
その時、その時の都合で
つくる法律が、まさか
必ず正しいものであるわけがない、
というのが、
教授の最初の講義でした。
その教授の講義を受けてから、
ぼくは六法全書を、
「善悪を示すものではなく、
人の興味を示すもの」
と、思うようになりました。
たとえば、
「染髪禁止」という規則は、
「髪を染めたい」と思っている人が
いるゆえに成立しています。
そんな人がひとりもいなければ
法律や規則の存在理由は
なくなります。
また、髪を染めることに
興味のない人にとって、
「染髪禁止」という規則は、
あってもなくても関係ない
どうでもいい規則でしょう。
善悪ではなく、
人の興味や関心に対して
法律や規則があると思って
六法全書を見てみると、
時に悪徳政治家の
興味と関心が見えたり、
または、人権派団体の
活動の軌跡を知れたり、
命のことや、善悪に対する考え方、
じつはすごく哲学的な話に
なってきたりして。
法学部の学生としては、
これっぽっちも点数にならない
法律の学び方ですけどね。
今日も、「わくわく海賊団」にきてくださってありがとうございます。
法律や規制に不自由を感じるときは、
つまり、その法律や規制が定める
「してはいけない」という分野に
興味や関心があるということかも。