これはぼくの
勝手な偏見なんですがね、
不良と呼ばれていた人たちは
その他の人たちよりも
規則について真剣に考えたことが
あると思うんです。
なぜ髪の毛を染めてはいけないのか、
廊下を走ってはいけないのはなぜか。
「規則だから」という理由だけでは、
到底納得できません。
たとえ不良だとしても、
禁止されている規則やルールについて
真剣に考えてみると、
「それはその通りだ」と
納得できるものもあるでしょう。
それでも、どんなに考えてみても
納得できない規則やルールってのは
ありますよ、たくさん。
それでも、規則だから守るべき、
というのはそうなんでしょうけれど
規則の方を疑ってみるという
不良の発想は、ぼくは好きですね。
世の中には、問題を
規則やルールで解決しようとする
組織がたくさんあります。
そういう場所に長くいると、
問題はそうやって解決するんだと
思ってしまうことがあります。
規則について真剣に考えると、
規則と罰は、常にいつでも
セットになっていることに
気がつきます。
納得できる規則だろうと、
納得できない規則だろうと、
それを破れば必ず罰があります。
破った人は罰を受けるわけです。
罰とは力です。無理矢理に力で
押さえつけるわけですから、
暴力ともいえるかもしれない。
何かあるたびに、
「規則を強化すべきだ」という声を
あげる人がいます。
不良と呼ばれていた人たちは、
きっと、そのことの怖さに
気づいているんだと思うんです。
不良と呼ばれていた人たちは、
どのようなときに
人の気持ちが動くのかを
とてもよく理解しているように
思うんです。
規則をつくれば、人は(その通りに)
動くんでしょうかね。
たとえ動いたとしても、
それが罰という力によってだとしたら
望ましい状態ではなさそうです。
規則について真剣に考えると、
規則なんて本当はないほうがいいし、
問題が起こったときには、
規則以外の方法で解決できる道を
探すほうがいいでしょう。
たとえば遅刻する人が多いとき、
規則(罰)を厳しくするのではなく
時間通りに来たくなる理由を考えて
そういう仕組みに変えてしまう、
というやり方なんていうのは、
廊下を走ったこともない人には
できないだろうなぁ。
今日も、「わくわく海賊団」にきてくださってありがとうございます。
不良と呼ばれていた人たちは、
規則の方を疑ってみたことが
ある人というニュアンスで
遣わせていただきました。