
ほめる方法と、叱る方法と、
いったいどちらがいいのだろう。
誰もが一度は考えたことがあるであろう、この質問を、
電車の中でお母さんにひどく怒られている男の子をみながら、
ちょっと考えてみました。
叱る、というのは、
これはとてもエネルギーが必要な方法だと思っています。
たとえば、まっすぐこっちに来て欲しいとして、
叱る方法をとるならば、まちがって右に行ったときに、
「こら、ちがう」と叱ります。それならば、と今度は左に行ってみる。
やっぱり「こら、ちがう」と叱られます。
どうしていいか分からなくなって、今度は後ろに下がってみたりなんかして。
叱るという方法は、
「やってはいけないことを、ひとつずつ無数に憶えていく」
という方法なんだと思います。
つづきまして、ほめるという方法ですが、
じつはこれ、とっても簡単な方法だと思っています。
上の例でいうならば、まっすぐ進んだときにご褒美をあげるだけですからね。
ほめる方法は、「こうすればいい」を教えるだけですから、
叱るという方法に比べて、無数のやってはいけないことを憶える手間が
いらないことになります。じつに簡単です。
ほめる方法は、ガッチリかみ合えば、
劇的な効果を発揮しそうです。そういう事例もよく訊きます。
対して、叱る方法は、時間がかかってしまいそうです。
なかなか目に見える効果も表れないかもしれない。
それなら、やっぱりほめる方法がいいのかというと、
目の前で男の子を叱っているお母さんを見て、
一概にそうとはいえないかもしれないと思いました。
叱っている(くれている)相手というのは、
まちがいなく、じぶんにエネルギーを注いでくれています。
叱るという方法は、とても手間のかかる方法ですから。
「耳に気持ちのいいこというヤツには気をつけろ。
耳に痛いことをいってくれる人を大事にしなさい。」
昔の人はそんなふうにいいましたが、
叱る人が注いでくれるエネルギーが無駄だとは思えないし、
その方法もまちがっているとは言い切れない。
ここで、ぼくはようやく気がつくわけです。
どちらがいい、という問いがおかしいのであって、
どちらも使い分けなさい、ということですよね。
今日も、「わくわく海賊団」にきてくださってありがとうございます。
電車のお母さん、ありがとう。
おかげさまで、ほめると叱るをじっくり考えられました。