
ちょっと前までは、たしかにあったんです。
常識の範囲内で、っていうルールが。
髪の毛の色は、常識の範囲内で。
身だしなみは、常識の範囲内で。
いま、こんなふうにルールを決めたら、きっと成り立たないんじゃないかな。
「ふつう」の範囲は、どんどん広がっています。
「おかしい」と思われていたことも、どんどん「ふつう」になっていきます。
オネエさんが朝昼晩とテレビに出ていることは、いまは「ふつう」です。
女の子は結婚したら専業主婦になるのが「ふつう」といわれていた頃がありました。
いまは、そんなことをいう方が「おかしい」となってしまいます。
法律よりも、時に大きな影響力を持つ「ふつう」というヤツは、
法律が変わるよりも簡単に、さりげなく、そしていつの間にか、変化していきます。
あいつは、おかしい。異常なヤツだ。理解できない。ふつうじゃない。
ニュースをみながら、そんなふうに口にすることがあるけれど、
気をつけなくちゃいけないな、と思うんです。
じぶんが信じている「ふつう」なんて、あてにならないぞ、と。
「ふつう」はいつの間にか、自然にできあがっていることもあるけれど、
「ふつう」を決めることができる人たちもいます。
たとえば、健康の「ふつう」を決めている人たち。
基準値が変われば、それまでは「ふつう」だった人も「おかしい」となって、
たちまち病気になってしまいます。薬を飲まなくてはいけなくなるかも。
「むかしはこの数値だったら健康といわれていたのに、いまはもう病人扱いだよ。」
なんて話はよく聞きます。その基準は、すごく重要なものなのに、
気がついたら変わっていたなんて、よくある話でございます。
じぶんが信じている「ふつう」というあてにならないヤツが、
時に人を傷つけ、その人の人生を狂わせ、命をも奪うことがある。
そういうことを、もっと真剣に考えてみようと思いました。
そういうことに、もっと敏感でいようと思いました。
今日もわくわく海賊団にきてくださってありがとうございます。
「ふつう」の範囲がどんどん広がっているなかで、
法律は昔のままだったり、正常と異常の枠組みはむしろ狭くなっていたりして、
なんでもかんでも、「あいつはおかしい。異常だ。じぶんには理解できない。」
となるのも、なんだか「ふつう」じゃないような気もします。