ゆっくりランチをいただく前に、うちの事務所の神棚に祀られている「坐摩神社」へ参詣することにした。坐摩神社はかねてより何度も伺ったことがあるが、実は氏神様ではなかった事実もあり(先日のブログ参照)、改めてご加護ご利益をいただくべくチャリを飛ばし向かうことに。
弊社は、肥後橋から土佐堀通りを西にいった場所にある大正時代に建てられたレトロビルなのだが、そこから中央大通りを南へ越える「坐摩神社」へは、なにわ筋を下るのが一番。何てったって歩道が広いので、移動時間が短縮できるからだ。
途中、靭公園沿いを通る。(大阪人しか読めないと思うので注釈、靭は「うつぼ」と読む)
靭公園のことはいずれこのブログに書く機会もあると思うが、テニスコートやバラ園、ケヤキ並木などまさに都会のオアシス、大阪都心部に働く人々の憩いの場だ。
そんな靭公園の脇に、小さな社を発見。
13年前に東京に行ってから忘れていたが、そういえばあったあった、と思いつつチャリを止めて近づく。

そのお社は、「楠永神社」という。一昨日訪れた事務所の氏神様「御霊神社」が、淡路町に遷宮する前にあった場所。偶然とはいえ、なにかご縁を感じてしまった。今は御霊神社に鎮座している摂津国津村郷の産土神・布良彦神(つぶらひこのかみ)と津布良媛神(つぶらひめのかみ)の二柱は、元々この場所で祀られていたのだ。
で、二柱が淡路町へ移られてからは、境内にあった二本の楠を御祭神として祀ったらしい。樹齢300年以上経つともいわれる楠は、それぞれ楠永大神・楠玉大神として今も大きな幹に青々とした葉を繁らせている。
南から見ると、アルミサッシ製の引き戸のついた簡素な社殿なのだが、中をのぞくときちんと祭壇が設けられ、手入れも行き届いている様子。手洗場も極々小さいが清潔感にあふれている。

無人なので御朱印など頂くこともできないが、清浄な気を感じながら、参拝を済ました。やっぱり大樹はよいな。

社殿南側より北側へ移動する。大きな楠を間近で見たかったためだ。北側は朱塗りの鳥居と、その向こうに楠がご神木・ご神体として鎮座している。南と北とでは大きく印象は異なるが、神木の力強さがダイレクトに伝わってくる。

社殿東脇には「御霊宮旧蹟」の石碑。御霊神社の元宮を示している。

また東脇には「永代浜跡」の石碑。江戸時代この一帯は、海産物の荷揚場として、また塩干魚・鰹節などの市場として賑わいを見せていたという。干鰯市(ほしかいち)は特に有名で、鰯を乾燥させた有機肥料を売る市が数多く建っていた。
大阪市内のお堀のほとんどが埋められ道路となっていく中、この永代浜も例外でなく明治初期に姿を消した。その顕彰のためこの碑は建てられている。
再びチャリンコに乗り、目的である「坐摩神社」へ向かうことにした。
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