「曉星・白百合学園⑵ 両学園の育ち」第四章 カソリック附属編⑭ | 幼児受験プランナー 島村美輝のブログ

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国公立や私立の有名幼稚園や小学校に合格するためには幼児教室選びがきわめて重要です。受験界の裏も表も知り尽くし、有名幼稚園や小学校に豊富な人脈を持つ東京・麹町の「慶進会」塾長島村美輝が、合格するためのノウハウをお話します。

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「曉星・白百合学園⑵」 第四章 カソリック附属編⑭


『両学園の育ち』



 戦前から続く良家のお嬢様育ちが多い附属の聖心や雙葉は お嬢様として自然に育つ環境が家庭や親族にありますが、白百合は商才に長ける商人家系が保護者に多かったので、家庭や親族の人的影響というより園や小学校、習い事の場を通じてお嬢様に仕上げていく意識が高かったように思います。


 本来の育ちよりも外の世界におけるお嬢様としての振る舞いがより強く出された姿に育ち、そのことから芯の強さが育まれてきたように思います。


 近年の白百合の保護者は知らないことなのですが、雙葉や心卒の年配の女性が白百合を見下すような発言をするのを、私は何回か耳にしたことがあります。いつの世にもある事ですが、江戸時代から続く士農工商のような差別意識は、その意識が人々から希薄になるまで長い時間を必要とするものです。


 商人の出身である私としては、笑い飛ばす事しか出来ませんが、「お育ちがねー…」の発言と類似する学校差別は、近年一部の層を除いて都会では過去の遺物になってきたように思います。


 暁星に数多く通学していた梨園の方々も、明治時代に国が文化保護をするまで差別をされてきた歴史を持つわけですから、「芸能人がいる学校はちょっとね…」という近年耳にする差別的発言と通ずる見方を曉星がされていた可能性はあるかもしれません。


 私は五十歳以上の曉星卒業生の知人が多くいるので、彼らの趣味の多さや人脈の広さ、社交を通じて人生を楽しんでいる姿を見てきました。やんちゃな子供のままのような彼らの人間像はやはり商人家系特有のもので、曉星の人的環境が大きく影響している気がします。似たような人物像は、商人家系の保護者の多い幼稚舎や成城学園、青山学院、立教に多く、ここでも家系や家業の影響の大きさを確認できます。



他のテーマで投稿した文章ですが、関連文章なので、載せました。


東京の幼稚園・小学校に合格できる幼児教室「慶進会」

 第十八代 中村勘三郎が逝ってしまいました。


 先月始めぐらいから、勘三郎の容体が相当悪いらしいと耳にしだして、個人的に心配をしていました。ほぼ私と同年代、その活躍を子供の頃から自分の成長と共に目にしてきたわけ

ですから、言葉になりません。


 稀代の名役者!短い人生でしたが価値のある濃い人生でした。先代の「十七代勘三郎」も舞台外の映画やテレビでも躍する芸達者でしたが、十八代目は他の芸能との交流や海進出etc.周囲を明るくするような手な活躍を見せてくれまた。まさに「ひまわりのような人」だったと思います。


 「平成中村座」…歌舞伎の原点を現代に甦らせました。そして数々の「浮名を流すは芸の肥やし」の話題で世間を賑わしてくました。まさに役者らしい役者でした。心からご冥福をお祈り

します。


 さて、勘三郎さんの出身校が九段の曉星学園であることは、どの程度認知されているかは不明ですが、他にも梨園の有名な役者の出身校となっています。


 十一代目 市川 團十郎

    初代 松本 白鸚

   二代目 尾上 松緑  

   七代目 尾上 梅幸

   四代目 中村 時蔵

   九代目 松本 幸四郎

   二代目 中村 吉右衛門

   七代目 市川 染五郎

   二代目 中村 七之助 そうそうたるメンバーです。


 そして歌舞伎界から映画に転身しましたが

   萬屋 錦之介 

   中村 嘉葎雄 の兄弟も出身者です。


 他にも藤原義江、齋藤英雄、夏目純一などのクラシック界や渡辺香津美、グッチ祐三、モト冬樹などの洋楽やタレントなども多数出身者であることからもわかるように、芸術家や芸能系の職業に繋がる育ちや、梨園のように幼少期から舞台に立ちがらでも温かい目で見守る教師や保護者達が揃った環境であったことが伺いしれます。


仏語を必修とし、文化人が愛した学校の一つである曉星学園。人生の楽しみ方を知っている卒業生を排出してきた曉星学園。その伝統をいつまでも無くさないでいて欲しいと思うばかりです。