このブログは化学物質過敏症と闘うと最初に書いておりますが、現在は今日の題のように
「学校トラブル後遺症との闘い」
が多くなっております。
2004年に体調悪化し原因不明でしたが2005年に
「化学物質過敏症」
と診断されました。
2011年まで試行錯誤しながら化学物質過敏症と闘い、発症から7年で完治しました。
2010年、化学物質過敏症と闘いの途中、長女が学校の改築工事が原因で化学物質過敏症になってしまいました。
https://ameblo.jp/keirun/archive-201003.html
https://ameblo.jp/keirun/theme-10104922674.html
ここからが、学校・奥州市教育委員会との闘いも始まりました。
そしてよりによって、現役教師が嫌がらせしてくる事案が発生。
https://ameblo.jp/keirun/theme-10105015211.html
読売新聞でも報道されましたが、私たち被害者に謝罪をしないことで、県教委との闘いも始まりました。
その後、二女も長男も学校・市教委・県教委に様々な問題を引き起こされ、私が化学物質過敏症完治後は、
学校・奥州市教育委員会・岩手県教育委員会との闘いが中心になっていました。
長女の問題は、話し合いで取り決めしたことを奥州市が守っておりますので、どことも闘っておりません。
二女の問題も、小中で受けた心の傷は残っているでしょうが、高校入学後ほぼ一般的な学校生活になりましたので、どことも闘っておりません。
でも長男の問題は・・・
つづく