2年前 | 岩手のランナーけいのブログ(学校・化学物質過敏症の闘いなど)

岩手のランナーけいのブログ(学校・化学物質過敏症の闘いなど)

化学物質過敏症・学校トラブル・ランニングの話題を中心に、けいがストレス発散のために自己主張をしている気ままなブログです。

震災でお亡くなりになられた皆様のご冥福をお祈りいたします。



2年前を振り返りました。


自宅に2階にいるときに地震がきまして、家が潰れると思うぐらいの揺れで、自宅の中の方が危険と判断し、外の広い所に出ました。

電柱も倒れるかと思い、電柱を見ながら電柱が倒れてきたときのことを考えながら、揺れの治まるのを待ちました。

揺れが終わった後、近くの消火栓が破損し水が吹き出し、停電し、何が何だかわからない状態になってました。


すると、近所の皆さんいろんな方が、高齢者のお宅や、お体の悪い方がおられるお宅などに協力し合って被害の確認に向かいました。


私もそれを見て、一緒に回らせていただきました。


近所の方の人的被害はなかったようなので、その後車で長男を迎えに保育園に急ぎました。


園庭の真ん中に、みんなで体を寄り添って寒い中いました。

保育士の皆さん安全な誘導で、皆怪我もなく無事でいたようです。


次々保護者の方が迎えにきましたので、とりあえず荷物はそのままで園内に入らず、帰宅しました。


その後、長女と二女も心配でしたし、スクールガードもしていましたので、自転車で小学校に向かいました。


保育園に迎えに行くときは信号機のない道を行ったので気になりませんでしたが、停電で信号機が動かないために交差点がとんでもない状態になってました。


とっさに帰宅する中学生が危ないと思い、横断歩道で中学生を渡らせたり交通誘導を始めてしまいました。


中学生の通行が落ち着いて、さぁ小学校へと思ったら、上履きのまま長女も二女も他の児童も帰ってきました。


あのとき本来自分の子が優先と思わなかったんですよね。


目の前の危険回避(交通誘導)が優先と思って動きました。


長女二女なら冷静に対応できるだろうと何故か?根拠のない自信があったんです。

その通り冷静に動いてくれたようでした。

いや、頻繁に小学校にお邪魔してたので、あの学校ならという安心感が信頼感があったからでしょうね。


そういう行動をしたなと思い出しながら、今日は小学校は集団下校訓練とのことでしたので、その時間に小学校へ腕章をつけてスクールガードとして行きました。


2年前のことが今起こっても、この子たちは冷静に行動してくれますように、と思いながら見守りさせていただきました。