体の異変を自覚したのが平成16年2月で、
そこからいろんな病院回りをし、平成17年9月9日に
「化学物質過敏症」
と診断されました。
異変を感じてから、正式な病名がわかるまでに、
1年7ヶ月経過したことで、かなり悪化しました。
当時は病名登録もなく、多くの医療機関で、
異常なしとか気持ちの問題と言われ、
挙句に精神疾患にもされまして、医療機関で数多く嫌な思いをしました。
様々な化学物質の暴露で、
意識消失・痙攣・体の脱力・体の硬直・激しい頭痛・目の異常・吐き気
などを起こし苦しかったです。
自力歩行も出来ず、ほぼ寝たきり状態になったときもありました。
正直言って、車椅子生活かな?と思っていた時期もありました。
立ち上がることすら、かなり苦しいことでしたので・・・
家族には相当迷惑をかけました。
でも、家族は私の病気を受け入れました。
妻の家族も、また父方、母方の親戚も私の病気を否定しませんでした。
近所の方からも、否定されたことがありません。
多くの化学物質過敏症患者は、理解されずに苦しみます。
そんな中、身内・親戚・近所の方など、
理解しようとしてくださり、そういう人に囲まれ、幸運でした。
なんとか、もう一度普通の生活(発症前)をしたいと、もがきました。
杖をついて歩くのからはじめました。
5分歩くのが、フルマラソンを走っていた頃より、
長い時間で、長い距離と感じました。
普通の生活なんて夢のまた夢と思いました。
何度も外で倒れて、多くの人に迷惑をかけました。
しかし、前に進むためにはリスクもあると都合よく捉え、
何度周りに迷惑をかけても、外に外に出て行きました。
主治医を中心に、近所の医療機関も協力してくださり、
たまたま服用した喘息の薬が良い方向にいき、
在宅酸素を試行したら、それもいい方向にいくなど、
偶然なども重なり、少しづつですが改善していきました。
(試行錯誤の段階で、薬など、3回に2回は失敗していた時期もありました)
だんだん歩けるようになり、そこからジョギングが出来るようにもなってきました。
そうなると、もう一度大会を走りたいと言う気持ちも出てきました。
体を動かせるようになり、体重が減り、体脂肪も減りました。
ジョギングなど全身を動かすことで、代謝が良くなり、
体に取り込んだ化学物質を外に排出し、
脂肪が減ったので、体に蓄えにくくなったのでしょう。
一進一退から、3歩進んで2歩下がる、
要するに少しづつですが、好転していきました。
前置きが長くなりましたが、
現在の状態ですが、
はっきり言いまして、発症前の状態に戻っています。
完治していると言っても良いかと思います。
活性炭入りマスクをすることなく、居酒屋やドラッグストアにも入れます。
田んぼ環境の草焼きや、受動喫煙を避けるように気をつけていますが、
化学物質暴露による、体調不良を今年は起きていません。
完治というと、否定する方もおりますので、他の病気を例に出します。
親戚の癌治療のときの話しから
癌なども手術で摘出しても、数年は再発しないように、
定期的に通院しました。
再発せず、現在、以前と全く変わらない生活をしています。
完治だと思うのですが、定期的に検査はします。
私の化学物質過敏症の場合、
普段から、化学物質暴露を避けられるところは避け、
運動しながら、食生活なども含め規則正しい生活をすることで、
再発する危険性は少なくなると思います。
ですから、再発という可能性はありますが、現時点で、完治だと思っています。
ここまで7年かかりました。
化学物質過敏症は、未解明な部分が今でも多いです。
未解明だからこそ、
自分に合うように試行錯誤しながら、前向きにいくことで、
発症しても、完治する人も出てくると、私は思っています。
私の運動療法は、
若いときにスポーツで給料をいただいていた時期もあり、
一般の人よりは、運動に対して、
きついことを出来たのだと思います。
最後に化学物質過敏症の患者さんに伝えたいのですが、
発症前の状態に戻った人間がいる現実を知ってください。
私は、化学物質過敏症は完治できる病気と思っています。