まだ切断頭部はジンジン麻痺したままでしたが、残り3割の腫瘍、二度目の手術をしました
昨年の夏頃は頭も身体も心も、そうとう狂っていて目が回りながら生活をしてきました。
しかし、一度目の手術で腫瘍の7割りをくり貫いて手術してくださったおかげでMRIでは、小脳に押し込んでいた腫瘍が、ギュッと縮んできました
顔面神経は少しでも傷がつくと左顔の麻痺が残るのでそこはかなり慎重に考えてくれました
小脳に癒着していた部分は焼取ったそうですが、その際小さく3個所、脳硬塞を併発してしまいました
のちに歩きのリハビリでは右へ右へ身体が傾いていました
しかし幸いに脳硬塞に関しては軽くすんでいます
頭痛は前回を経験しているので坐薬などを利用してもらい激痛の山は越えました
眼球運動の神経は今度こそちゃんと生活できるくらいに戻っています
グニャグニャと、目はもう回らない
これだけで生活がほとんど成り立ちます
左耳は術後には聴力ゼロになると初めから言われていましたが、わずかですが残りました、
完全に聴力を失うことなく手術は成功しました
オペしてくださった教授は、本当に神の手でした
同じ日におでこから鼻の奥までメスを入れた患者さんと励まし合いましたが、
その方も私と同様に、入院直前、終活ノートに全てを書いて出てきたそうです。
わたしは、さらに残した猫たちがどうなっていくかも考えながらでしたので、まずは生きていて良かった、これからも自分の責任で飼うことができます。
ある日突然目が回り耳が聴こえなくなり、ガンマナイフでは対応できないほどの大きさの脳腫瘍があると言われ、
もう、終わりかなとよぎりながらも、今があります
手術前には熱海で水と共に餌を与えてくれている住民の方へ、定期的に大袋フードを渡してきました。
たびたびカメラ確認しても探している猫の情報にはつながりませんでしたが、退院したら、また、カメラ設置も再開します。
しかも未手術の猫もまだまだいる。
あとは術前ギリギリまで、同市の団体さんからSOSでメス猫の捕獲にトライしてきました。
せっかくすぐ捕まえたのに、その場でイリュージョンかと目を疑うまさかの自力脱出。
しかしそれには意味があって、子猫を産んだばかりでした。守るのに必死だったと後にわかりました。
子猫は二匹先に団体さんが保護しました。
残るは母猫のみ。
これが、終わらないと私自身の心が落ち着かないので、作戦をずっと練っています。
全国の愛護団体さんには本当に頭があがらないくらい感謝です
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稼ぎがあるとはいえ、数千万身銭で施設を立ち上げて、自走式で運営を成り立たせると奮起してくれてる坂上さんにも大注目です