大宝寺の「うば桜」
松山市南江戸 1000年以上の歴史のある古刹
浩宮徳仁親王殿下御成り記念の石碑があった。
昭和57年3月21日、39年も前の事。
本堂は大きくないが鎌倉時代前期建立、
愛媛県下で最も古い和様建築物。 昭和28年3月31日 国宝指定
☆賽銭箱が無いので、本堂の空いている格子の中に
硬貨を投げ込んだ後がぶつかり白く色が変わっている。
土足厳禁なので横着して下から投げたのであろう・・・
私もそうしたが、家内は靴を脱いで階段を上り丁寧に納めていた。
☆観音像の後ろには陽光桜と白い桜が咲いていた。
★マスコミは嘘を言う!!(・・・こともある)
昨夕、TVで「大宝寺のうば桜」を放映していたので
今朝早く訪れたのだが・・・
TVでは四国霊場44番札所と案内していた。
四国霊場88ヵ寺は廻っているが、ここには
来た事無いなあ~と家内と言っていた。
納札箱も太子堂も無いし。
本物の44番寺「大宝寺」は久万高原町にある。
【うば桜】 松山市指定文化財・天然記念物
昔、ある長者が子どもに恵まれず松山の西山のふもと、
大宝寺のお薬師様に願かけをした。
願いがかなって、女の子が生まれ、露と名づけた。
大事に育ててきた乳母のお乳が急に出なくなったが
お薬師様のおかげで治り、そのお礼に長者はお堂を建てた。
それが、大宝寺の本堂だという。
お露は美しい娘に成長したが、十五歳のとき病にかかった。
乳母は、わが命にかえてもお嬢様をお助け下さいと、お薬師様にお祈りした。
お露は元気になったが、そのお祝いの席で、乳母は倒れ床についた。
乳母はお薬師様との約束ですといって、薬も口にせず
「お薬師様に、お礼として桜の木を植えて下さい」と
言い残して死んでしまった。
長者は、乳母のことば通り、桜を本堂の前に植えた
不思議なことに、桜は枝なしに幹から二・三輪花が咲いた。
その花の色は、母乳のような色で、花はまるで乳母の
乳房のようであったという。 (松山のむかし話より)
この話は、明治時代に、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の手で
英語に訳され英国・米国で出版された「怪談」にも収められている。