こんにちは
本日のブログを担当します
4年 豊田聖華です。
ラストブログ第5弾の本日は
インカレまであと3日です。
先にお断りしておきます。
普段から割と長めな私のブログですが、今日はさらに長くなりそうです。
諦めずにお付き合いいただけますと嬉しいです。
普段自分のこと語るのが好きじゃないので、
基本的に自分のことはどうでもいいことくらいしか喋ることはない私ですが、
今日ばかりはちゃんと記そうかなと思います。
インカレのレセプションも9割5分いない、
喋る時間があったとしても、泣いて内容飛ぶか、思っていることを喋れないことが容易に想定できるので、ここで供養しておきます。
(喋れなくてもこれで代わりになるかなーとか思っていたり、、、)
とりあえず本日の練習
朝のAブロックはFPでした。
午後
Short
さて、
ついにインカレまで
あと3日になってしまいました。
早いものですね。
私は明日の朝からTACで前日準備なので、土曜日の午後練習がラスト練習となりました。
どんどんラストが終わっていく、、、。
感慨深いものですね。
入部して、1年生やってたころがつい最近かのように感じます。
4年生になった時、1年生の頃の4年生のように頼もしく見えてるかなと思い、見えてなさそうな気がしていました。
引退間際になって、歴代の先輩方のようになれているのか。
ふと、そんなことを思います。
それぞれが上級生となった時になんとなくでも哲学を持っているかと思います。
私の哲学は、
接しやすい、頼りやすい4年生であること。
でした。
そのために、というのは大層な感じがしますが、
練習中、練習外のコミュニケーションは結構大事にしていました。
誘われたご飯は断らない主義だったのもこれが理由です。
もちろん、私がみんなといるのが好きだった、というのもあります。
いろんなところでコミュニケーションを積み重ねれば、接しやすくなる、些細事でも頼りやすくなると考えていました。
後輩から見て、私の先輩像はどうだったでしょうか。
どっしりとしているような頼もしさはなかったかもしれませんが、声のかけやすい4年生であったならいいなぁと思います。
さてさて、
とりとめもなく、話の流れのままに書き進めてきましたが、ラストブログにありがちな、これまでを振り返ってみようかなと思います。
水泳自体は6歳頃から始めました。
通っていたクラブの選手コースチックなものが設立されたのが中学1年生の頃。
それまではスクールで週2か3回くらいでした。
1期生だったので、スクールのレベルから選手コースのレベルにいきなりぶち込まれるなんてこともなく、横国みたいな大きなプールだったので、クラブ同士のコース数等の関係で週3回練習がマックスでした。
そんな感じで半分趣味、というかほぼ趣味の範囲内だったので、節目で辞めることなく続けてくることができました。
高校はいわゆる自称進学校というやつで、課題や予習復習が毎日大量にあったので、週3回も大量の課題とテストのための勉強を裁くにはちょうど良かったです。
この時点で他の選手陣とは大きく異なる水泳人生を送ってきたわけですが、
大学でなぜ體育會の大競に入ったのか。
今振り返るととても大きな、でも結果的に最高の選択をしたなと思います。
そもそも大学入った時点では、水泳を続けようとは思っていたものの、體育會に入ろうとは思っていませんでした。
流石に自分のレベルは理解していたので、無理だろうと。
なので、最初はリコタイにいました。ですが、2週間ほどでコロナにより活動停止になりました。
当時、現社会人スタッフの梅本さんの体育の授業をとっていて、その時に活動停止になった話をしたら、じゃあ大競来てみる?とお誘いいただきました。
まじか、と思いました。
上述の背景があったため見学すら行っていなかった私は、おっかなびっくり、行くだけタダだし、と思い、体験に行くことを決めました。
部活を経験しておらず、(部自体がなかったり、大会の時だけの名前だけだったり)部活に対して憧れを持っていた私にとって、大競は魅力的に映ってしまいました。
大抵の場合、学生であるうちしか水泳をちゃんとできません。
最後だし、思い切り水泳やってみたいと思いました。
そんなこんなで大競に入ってきたわけです。
きっかけをくださった梅本さんには頭が上がりません。
心からの感謝を。
あれがなければ、今はないと思うと、なんてつまらない大学生活を送っていたのかと心の底から思います。
もちろん身の丈に合わない挑戦をしたわけですから、だいぶ苦労しました。
人生で一番充実したのも大競ですが、
挫折だったり苦労だったりしたのも大競でしたし、
水泳の面白さに改めてちゃんと気づけたのも大競でした。
2年生の頃から伸び悩み、ほぼ毎練習タイムが遅くて沈んでいましたし、
試合でないとベストは更新できないのに、
試合が来てほしくないとも思っていました。
陸に上がった今考えると、視野が狭まっていたなぁと思います。
考えているようで、狭い視野の中でしか物事を見つめていないので、ちゃんと考えられていなかったように思います。
メンタルも、追い込みという点では弱かったなぁと思います。
2年の冬が一番きつくて、沈んでいる状態での冬はしんどかったです。
普段涙腺固めな私ですが、実は1度だけ涙を流したこともありました。
自分が不甲斐なくて、情けなくて。
基本的にストレス耐性強め&メンタル強めな私が人生で唯一しんどかった時期でした。
後輩がこれを見るとびっくりするかもしれません笑
多分同期もあまり知らないかもしれないです。
おそらく感じ取っていたのではないかなと思いますが。
そんな時期を繋ぎ止めていたのは、仲間たちでした。
練習は憂鬱だったけど、練習に行けばみんなに会える。
それがモチベーションの一つでした。
今4年間を大競で過ごせているのは確実にみんなのおかげです。
ちなみに辞めようと思ったことは一度もありません。
それくらい大競が、みんなが好きでした。
3年の秋にスタッフになるという決断をしたわけですが、これは選手がしんどかったからというのが直接的な理由ではありません。
これはまじです。
しんどい時期にずっとスタッフになることがちらついてはいましたが、シーズン開始直前まで、
残り1年だし選手で頑張ってやり切って終わろうと思って覚悟していました。
学連で役職を持つことになった時に、ただでさえベストを出せていなかったのに、大会時に仕事をしていたら学連も、選手も、どちらも中途半端になってしまうことが想像できました。
学連の仕事を言い訳にして、どんどん心が死んでいくのは嫌でした。
また、最上級生になるにあたって、
こんな状態で練習したとして、いい見本となれる、姿勢で見せられるような最上級生でいられるのか、と自分に問うた時に、無理だなと思いました。
何もチームに貢献できていない状態で、
最上級生で居続ける自分を許容できなかった。
組織の歯車の一つになれていない状態が嫌だった。
これがスタッフになった理由です。
ここまで暗めな話が続いてしまいました。
今は、大競大好き、基本的に割といつも笑顔な人間だと思われているはず(実際そう)なので、後輩にびっくりされそうです。
まあバレていなければ何より。ということで笑
スタッフになったことは、今思うと最高の選択をしたなと思います。
後悔はありません。
性格的にもサポート側の方が向いていたというのもあります。
スタッフになって基礎スキルを習得した後は、
自分の武器がなにか欲しいなと思って、
ケアを覚えました。
もともと、ケアが普段から受けられたらいいなと思っていたのもあります。
それからは割と皆さんご存知のように、
自分が受けていた整体と謙虎さんから教わったスキルを活かして、ケアをやるようになりました。
皆さん好評のようで、おかげさまで顧客も増えました。
引退後にケアで呼ばれるようなら、出張料金頂こうかなと思っています笑
BCのブロックリーダもやらせていただきました。
最後の方は作業が立て込んでいて、ちゃんと見てあげられなかったのは申し訳ないなと思っています。
今でもちゃんとブロックリーダーができていたのか、自信はありません。
ですが、ニコニコしながら近寄ってきて感想言ってきたり、どうだった?と聞くとダメダメです、って萎えていたり、いろんな反応をくれて、嬉しかったです。
作業もたくさんやりました。
早慶戦やら日常業務やら。
尚大の次に大競のことをよくわかっている自信があります。
いろんな後輩が「聖華さーん」と呼んでくれて、
慕ってくれて、
時にはいじられもしましたが
(時にはと言いつつ結構な頻度だったような、、、)
そんな些細な日々がとても幸せで、
有難いものでした。
ざーっと振り返ってきましたが、
人生通して、本当に人と幸運に恵まれたなと思います。
みんなのおかげで今の私があります。
大競に入っていなければ、
あの時、あの選択をしなければ出会えていなかったし、仲良くもなっていないであろう人たちです。
みんなに出会えてよかった。
関わってくれた全ての人に感謝を。
みんなと出会えて、
一つの目標に向かって一緒に走ることができて、苦楽を分かち合うことができたあの日常は
とても幸せでした。
感謝の言葉って、実は言葉にすると薄っぺらくなってしまっていやですね。
“ありがとう” では言い表せないくらい感謝しているし、大好きだという言葉では表せないくらい、みんなのことを、大競を愛しています。
あの日常が、
協生館に行けば、約束せずともみんなに会えた日常が突如として消えてしまうのは、
とても寂しいです。
私たちがいなくとも、変わらず回り続ける無常な日々に寂しさを感じると同時に、
今後の慶應水泳部がどう変化していくのかとても楽しみです。
叶うことなら、当事者として関わり続けたいくらい。
未来の慶應水泳部を後輩たちに託します。
それと同時に後輩たちには、
数多くやってくる困難を乗り越え、
大競に入ってよかったと思えるような日々を過ごしてほしいです。
最後に
先輩方へ
同期曰く、私は1年生頃から無双していたそうですね。
今でも納得していませんが、ご迷惑をおかけしてたかもしれません。扱いづらい後輩だったらすみません。
絶対ベスト出して、出したら連絡します!って言ってた先輩方、最後まで出せませんでした。
結果的にスタッフになりましたが、後悔はありません。
幸せな大競生活でした。
応援していただき、相談にのっていただき、たくさんかまっていただき、ありがとうございました。
同期へ
この代でよかったなとつくづく思います。
最高に頼もしい同期と、4年間やって来れて、1年間運営できて幸せです。
頼りないところばかりで迷惑もたくさんかけました。ごめんなさい。
やらなきゃいけない作業系、幹部決めの時に宣言した通り、ほぼ全部引き受けたので許してください。
どんどん減っていってしまったけど、残ったメンバーは最高で最強だと思います。
インカレもぶちかまそう。
一人一人、言いたいことはあるけど、恥ずかしいので、どこかの機会に取っておきます。
3年生へ
1年間見ていて、文句や愚痴の一つや二つはあったと思います。
ついてきてくれてありがとう。
あとちょっと、よろしくお願いします。
次は君たちの番です。
今度協生館に遊びにいった時に、自分たちがどの代よりも最高だと胸を張って言えるようなシーズンをつくってください。
期待しています。
作業系で困ったことあったら聞いてください。
2年生へ
一癖も二癖もある君たちだけど、
その分成長する余地がたくさん残されていると思って期待しています。
4年生になって前で喋っているの想像できないけど、頼もしくなっていて欲しいです。
人数の少ない3年生をサポートしてあげてください。
1年生へ
まずは我々みたいに減らず、全員で完走して欲しいです。
人数多い分まとまるの大変だと思うけど、
多い分補い合える範囲が増えるということなので、それぞれを活かして頑張って欲しいです。
私たちの代がどういうふうに映っているのかわからないけれど、
大競に入ってよかった、
こういう4年生になりたい、
と思ってくれたら嬉しいです。
ちなみに、引退させませんとか、あと3年はいるんですよね?とか言ってる人いるけど、ちゃんと引退しますので。
連絡くれたらご飯くらいは連れて行きますよ。
学連含め、大会で出会う人たち
学連入らなかったら君たちに出会えなかったと思うと不思議です。
SNSも繋がっていない、大会で会ってただおしゃべりするだけでしたが、大会に行けば会える。これが嬉しかったです。
大会に行かなくなるので会えなくなるし、会う術はなくなるのが少し寂しいです。
インカレ会場でインスタでも交換しましょ。
学連のみんなありがとう。
インカレ頑張ろうね。
4日間きついけど、最高の大会を作りましょう。
NSPのみんな
みんながいたから水泳を好きで、ここまで水泳に関わってこれました。
ありがとう。
またたまにご飯会しようね。
野沢コーチ
たくさんお世話になりました。
基礎の基礎を教えてくださったのは野沢コーチです。
おかげで、大競に入って、急激に練習回数増えても怪我なく練習できました。
結果的にベストは出せませんでしたが、伸び悩んでる時に相談に乗ってくれてありがとうございました。
またご飯いきましょうね。
押木先生
先生があの時、慶應法政を勧めてくださらなかったら、今私はここにはいません。ありがとうございました。
年賀状毎年出そうと思ったのに、住所をデータ化してないせいで、出し忘れて、出すの遅くなってごめんなさい。
新潟帰ったらご飯連れて行ってください。
両親へ
ずっと何も言わず応援してくれてありがとう。
いろいろやってきましたが、これからも相変わらず何も言わずいろいろやっていると思います。
楽しく元気にやっているので気にしないでください。
幸せなのでご安心を。
ちな
いつもありがとう。
特に書くことも思い浮かばないけど、
昔から誰かと暇な時遊ぶとなるとまず最初にちなを誘ってたね。
これからもよろしく。
別に最後じゃないので、特に言うことはありません。
大競生活楽しんで。
あなたの性格的にきつそうなことも多いだろうけど、大競は最高だよ。
これからの大競生活に幸あれ。
ブログという場なので、同期の中で一人だけ
ここで伝えさせてください。
友田へ
4年間ブログリレーありがとう。
この鉄壁は破られることがなかったね笑
このリレーももうなくなると思うと寂しいです。
いろいろ助けてくれてありがとう。
君がいなければ結構詰んでいました。
4年間たびたびこすってきたけど、最後までこすります笑
同日入部の同期と4年間もブログリレーをして、
いろいろ一緒に作業して、
協生館の住人になって()、
たくさんの時間を共にしてきました。
心からのありがとうを君に。
今後ともよろしく。
たくさん感謝を言いたい先はありますが、これくらいにしておきます。
引退してもいろんなところでいろいろ楽しくやっていると思いますので、乞うご期待。
明日は功大
自由に、想いのままに。
心からの愛と感謝をこめて。