さ皆さんこんにちは!理工学部4年で主将の吉田です。
今回は僕のラストブログとなります。
さて、今回は次の2本で行かせていただきます。
1、男女秋季リーグ戦の結果
2、4年間の振り返り
1、男女秋季リーグ戦 結果
女子の結果、、
3部Bブロック3位
慶應 2-3 立教大
慶應 0-3 千葉商科大
慶應 3-2 獨協大
慶應 3-0 東海大
慶應 3-1 横浜国立大
男子の結果、、
3部Aブロック2位
慶應 0-4 東京経済大
慶應 4-0 帝京大
慶應 4-0 茨城大
慶應 4-1 武蔵大
慶應 4-1 千葉商科大
○まず、初戦の帝京大学戦について
帝京大は、春リーグの2日目初戦で 3-4 で惜敗した相手で、カットマンやバック表、フォア表の異質の選手がいる手強い相手でした。
この手強い相手で、しかも春リーグで惜敗した帝京大が初戦というのは、「負けたら春から成長してないことになってしまう、、」とか、「秋リーグの勢いづけとしては絶対勝たないといけない。」、「勝ててもギリギリで、かなり苦しい試合になるだろう」など色々考えてしまって緊張しましたし、練習では常に帝京大との試合を意識していました。
しかし、
終わってみれば 4-0 の完勝、、!!!
屋代が一番として素晴らしい試合をして勢いづけてくれ、エース福本典とリーグ戦初出場の川辺が激闘の末、勝利を持って帰ってきてくれ、とどめに頼りになる田島・典矢エースダブルスがしっかり勝ってくれました。
最高のスタートを切れましたし、春とは違うぞ、オレらが頑張ってきたことが結果で示せたぞ、というのを慶應OB・OGの皆さんに見せられたのがとても嬉しかったです!
○秋リーグ2日目について
今大会一番手強い相手である東経大と2日目の初戦であたりました。リーグ優勝するには勝たないといけません。
結果は 0-4 で惨敗。
ここで思い出されるのが春リーグ2日目初戦で帝京大に負け、切り替えられずチームがどことなく暗い雰囲気のまま次の立教大にまたもや3-4で負け、最後も順天堂に負けた最悪の記憶です。
主将の立場というのもあり、東経大に負けてリーグ優勝が難しくなったことよりも、ここから全部負けて春リーグと同じ結果になってしまうことの方が心配でした。
しかし、ここでも春リーグの僕たちとは違いました。
まず、チームの雰囲気は暗くなく、精神的にも皆少し余裕があるくらいでした。
すると、帝京大と同じかそれ以上に手強い、武蔵大と千葉商科大との残りの2試合は、共に 4-1 という素晴らしいスコアで勝利しました!!!
この勝利の特に良かったことは、エース福本とダブルスがキッチリ2本取り、残りの2本を4年生4人が全員で取りきれたことです。
(大学) (勝利した4年生)
帝京大~屋代、川辺 茨城大~友部、吉田
武蔵大~屋代 千葉商科大~吉田、川辺
4年生4人が秋リーグ通して皆で勝利を獲得しているのがわかります。
これまで2年生エースの田島・福本典矢に頼りきっていたので、その恩を返せて嬉しかったです。
また、4年間本当にたくさんの方々にお世話になってきたので、それを結果で少しでも返せたのが嬉しかったです。
全体の結果としては、東経大がこのブロックのリーグを優勝し、慶應は2位でした。
東経大は強かったですね。今後の試合も頑張ってほしいと思います。
2、4年間を振り返って
さて、ラストブログということで、僕の4年間を振り返ってどんな感じだったかお伝えしようと思います。
全部書いたらキリがないので、以下の3つのターニングポイントを取り上げてそこのみ書いていこうと思います。
①2年先輩の岡本優一さんと松尾仁史さんの引退試合を見て、感動と共に危機感を覚える
岡本さんのリーグ戦の最後の試合は東経大の石本さんでした。
このときの石本さんは全日学に出場するなど、とても強く勢いのある選手でした。
しかし、岡本さんは威力のあるボールなどはほぼ打たず、コース取り、長短、打点、緩急、サーブレシーブで崩して、あの石本さんにサックリ勝ってしまいました。
これを見て「スゲェ、、、!!」と感動しました。
僕のような強豪校出身でもなく高校でも大した結果もない選手が強い人に勝つには、残りの時間を考えると岡本さんのような卓球で勝つのが最適解かもしれないと思いました。
また、当時僕は実力順では岡本さんと松尾さんが引退されたらそのレギュラーの2枠に入る位置にいました。
そのため、岡本さんのプレーに感動した一方、「岡本さんたちが残してくれたこの凄い慶應義塾を守らないと、、でも今自分がレギュラーとなって試合に出てもただ負けて帰ってくるだけだ、、それはヤバいわ、、」と危機感を覚えました。
この瞬間から、レギュラーとしての自覚というか、「卓球が上手くなろう」から「勝てる卓球をするために強くなろう」という意識の大きな変化が生じました。
この考えに変えてから、僕は勝つためにどのようなプレーができないといけなくて、そのプレーをするためにどんな技術が必要で、その技術を習得するためにどんな練習メニューを組むべきかを常に考えて練習に取り組むようになりました。ここから卓球が伸び始めました。
② 卓球を始めてから10年弱ずっと裏裏だったが、大学3年でバック表へ変えた
当時慶應は2部でした。僕の立ち位置は慶應の5,6番手で中核の選手ではありませんでした。
このまま裏裏で強くなっても、結局は2部校選手たちの下位互換になって、多少競るけど最後は勝てない選手になるだろうと考えた僕は、以前から監督に勧められていたバック表に変えました。
慶應での僕の立ち位置と、勝たなくてはいけない相手(まともにやったら勝てない強い2部校選手)を考えた結果、この変化は必要と考えました。
最初の4か月は全然ダメでとにかく負けまくり、とにかく我慢の時間でしたが、その直後からついに感覚をつかんで急に伸びました。
すると、春リーグで2部最下位となって3部優勝校である神奈川大との入れ替え戦にて7番ラストで出場して勝利し、チームは4-3で勝利し2部残留しました!!
このときの相手はかなり格上で裏裏のままでは確実に勝てませんでしたが、バック表がとてもハマり優位に試合を運べました。
僕がバック表に変えてうまくいった主な理由は、腹をくくったことだと思います。
バック表に変えたらしばらくはかなり弱くなってしまい、我慢の時期がいつまでも続くことを覚悟はしていましたし、その後には必ず強くなってバック表に変える前よりずっと「勝てる」選手になれると自分を信じ切ってもいました。それが大事だったと思います。
③主将になった
僕が主将に選んでもらえた理由を上げようと思います。引退して振り返ってみて、いろんな人から言われたことと僕の主観を踏まえると、
・リーダーシップというか、統率力的な素質が多少あった
・一応レギュラーとして試合に出してもらえる選手だった
・先述の①、②の考え方や行動力が評価された
・キッチリやるタイプだったし、理工学部というのもあってか理論的な考え方なので監督と部員の間を取り持つ立場として両者の意思疎通をノイズ小さくできた
の4点かなと思います。逆に言えばそれ以外は僕にはなかったので、同期や先輩・後輩に大変助けてもらいました。
主将として大事だったなと思うことはたくさんありますが、長くなってしまうので1つだけここには書いておこう思います。
主将は苦しいことが多いです。
監督と部員の考え方の違いを調整したり、チームが勝てなかったり、キャプテンなのに自分が勝てなかったり、周囲にボロクソに言われたり、自分の判断が部員全員に関係してくるという重い責任があったり、まだまだたくさんの苦しいことがありましたが、大事なのは、それらから逃げずに向き合い続けることです。
僕は主将になって最初から最後まで本当に色々苦しかったですが、先輩・後輩、そしてなにより同期に支えてもらいながら、向き合い続けました。
すると、最後の最後、2部昇格という目標は達成できませんでしたが達成感のある結果を出せましたし、チームの雰囲気は最高と言える状態で引退できました。
こんな感じでいかがでしょうか。笑
4年間、特に主将やってた最後の1年はかなり濃かったので、振り返ると色んなことがあって、その経験を伝えたいですが、量的に厳しいのでこの辺にしておきます。
後輩や、もしかしたら今このブログを見てくれている、将来慶應に入ってくる未来の後輩の皆さんで、もしもっと聞きたい人がいたら、ぜひご飯に行きましょう!お役にたてるように何でも相談にのります!!
最後に、
OB・OGの皆様、4年間大変お世話になりました。感謝と尊敬の念しかありません。本当にありがとうございました。今後は僕も皆様の立場で一緒に後輩を支援してきたいと思います。
同期と後輩のみんな、オレはみんなが大好きです。
オレの現役生活を豊かにしてくれて本当にありがとう。みんなのおかげで最高の大学卓球人生でした。
ブログをご覧の皆さん、僕はもう引退し、ブログでお会いすることはもうできません。でも、今後も色んなことを頑張って将来ニュースになるくらいのなんか素晴らしいことするので、次はテレビで会いましょう。
さて、次回のブログは同じく4年の川辺です。
関東学生最強(?)のニッペンは最後に何を語るのでしょうか、楽しみです!!