こんにちは。慶應義塾大学應援指導部チアリーディング部責任者を務めております、A.Yと申します。
引退間近となり、四年間を振り返って文字に残すとなった今、様々な想い出が頭の中を駆け巡っています。
思い返せば短くて濃い四年間で、入部を夢見ていた時期が今でも鮮明に思い出せますし、まだ皆との青春を終わりたくない気持ちが強く残ります。
ただ、私の性格上、最後だからとかもうすぐ引退だからと言って気持ちを入れて、何か格好つけようとすると空回るので、最後まで普段通りに駆け抜けようと心に誓いました笑


私は小さい頃から約20年間、踊りと共に日々を過ごしてきました。幼稚園では新体操、その後少しヒップホップをかじって、小2から中学生まで競技チアリーディング、高校でダンス部とチア部に所属していました。
新体操とヒップホップの記憶はほとんど無いし、競技チアリーディングのチームでは正直嫌々やっていました。
大会に出られる事は楽しいけど、チームの皆とは何だか少し合わないし、運動神経も筋力も足りなくて、なかなか上手くなれませんでした。
結局大会前に鎖骨を骨折し、流れるようにチームを辞め、中学生の私にとって「チア」は最悪な想い出として締めくくられました。

それでも何か踊りを続けたくて、高校ではダンス部に入りました。そこで初めて本当の意味で踊りの楽しさに気付き、かっこいい先輩方を追い掛けて、ひたすら努力した高校時代だったなと思います。
私の尊敬する先輩と共にチア部を創部するという経験もさせていただき、この頃から私の中でのチアは少しずつ楽しいものに変わっていきました。

そんな中、友人に「〇〇って何で踊ってるの?」と真剣に聞かれた事がありました。え?と戸惑いましたが、確かに、なぜ踊っているのかと考えると、好きだから、楽しいから、と簡単な感情しか現れなかった事を覚えています。
今思い返すと、多分それで良かったし、思い悩むような質問でも無かったと思います。
それでもその時の私にとってはそれがすごく大きな出来事で、「踊ることの意味」を日頃から考える様になっていました。

そして、その「意味」を作る為、應援指導部に入ったんだと思います。
憧れの先輩を追い掛けた事とか、全力になれる環境に身を置きたい気持ちとか、踊りを続けたい気持ちとか、もちろん色々な理由がありました。
でも入部を試みた高校生の頃の私は、応援を通じて、誰かの為に踊りが届けられる應援指導部という環境に答えを見つけて、入部を決めたんだと思います。
そしてこの四年間の経験を経て、弱みを強みに変えられた今、結局踊ることの動機は好きだからだなとしみじみ思います笑

好きだから踊ってる訳だけど、それを體育会の選手とか、応援席のお客様とか、見に来てくれる家族や友達に、私の想いとして届けることが出来るのがいっちばんの幸せで、それに加えて応援席が一体となる瞬間を一番近くで感じられる素敵な環境に身を置けて、改めて最高な場所だなと思います。

しかし、そんな応援を嫌いになりそうな日々があったのは今だから言える事です。
コロナ禍、無観客の春リーグを終え、外野応援席に初めて足を運んだ一年生の秋リーグ初戦。何もかもが想像付かない中、私は試合の担当を務めました。一年生の役割である器材準備を円滑にできるよう考え抜き、応援席では誰よりも大きく動き、声を枯らしたつもりでいました。応援からの帰り道、憧れの四年生が同期に声を掛けていたのが聞こえました。「今日の応援最高だった、これからも期待してる」
ちっぽけな出来事ではありますが、あの日の悔しい気持ちは今でも鮮明に覚えています笑

元々人前に立つのは得意じゃないし、感情を伝える事も下手だけど、「頑張れ」「勝ちたい」という単純で明確な感情さえもうまく表現出来ない自分がすごく嫌で、応援活動に嫌気がさした日々がありました。それでも頑張る事だけは辞めたくなくて、四年掛けて自分の出来る事を模索しました。今思えば一年生の頃の私の応援の動機は、上級生方に認めていただく事だったし、四年生になった今でも応援席の中で何か目立った役割を務めた事はありませんでした。ロジカルな応援を目指す慶應応援席とは裏腹に、私は自分の中に閉じ込めた精一杯の感情をどうにか表そうと、必死になって声を出すという原始的な方法で戦っていました。お陰で声の大きさだけはたまに褒められて、少し嬉しい気持ちでいました笑

実際に応援が上手い人と言うのは居て、表情や目線一つでも伝わるものが全然違います。気持ちの大きさだけでは上回れない時もあるように思います。それでも応援がしたくて、必死に声を上げて、皆と一緒に素敵な応援席の一員になる事ができればそれで良いと思える様にもなりました。

ずっと自分に言い聞かせる様に応援が苦手だ、と唱えてきたけれど、そんな私にも、応援席には輝ける場所があり、全力で気持ちを届けたい相手がいました。それに、部員はもちろん、応援席にいらっしゃる全ての方が、打倒早稲田を果たそうと死力を尽くしている。
そうやって気持ちの集まる場所が応援席であり、青春そのものだと思います。

様々な形を辿り、最終的に伝統ある応援席に還る事ができた今年度。四年目にしてその歴史の大きさと、慶應義塾の強さを感じる事のできたラストイヤーでした。
支え続けてくださった沢山の方々へ、溢れる想いと感謝を込めて、最後は私らしく、大好きな踊りでかまして引退したいと思います。✌🏻

そして、この四年間沢山お世話になった同期達へ
皆とはどれだけ時間を過ごしても話が尽きなかったし、皆で考えてぶつかれたこの学年だからこそ作り上げられた物ばかりだったなと、誇りに思ったりしています。
引退まで私達らしく、最高のステージを作り上げようね!

最後までご覧いただき、誠にありがとうございました。