吹奏楽団四年K.M.・チアリーディング部四年 A.Y

四年生のブログリレー第8弾です📣

應援指導部人生を終えようとしている四年生の”4年間と今”を皆さまにお届けします。





描いた夢とここにある"今"

吹奏楽団四年K.M.(応援企画責任者、器材車管理責任者)

ツール:サックス、鼓手、旗手

吹奏楽団四年、本年度応援企画責任者、器材車管理責任者を務めておりますK.M.です。

このブログの題名は、高校生の頃野球応援で演奏していた「心絵」という曲の歌詞から引用させていただきました。これから、自分の過去と今考えていることについて書かせていただければと思います。ほぼ全て自分語りですが、御容赦下さい。

私が応援と出会ったのは高校時代、音楽を続けるために吹奏楽部に入ったこともあり、当時の私は応援が大嫌いで、応援の見学も全て用事があると言って休み、逃げ続けていました。しかし、夏大会に向けた練習が始まり、練習を重ねるにつれて、自分でも驚くほどにチャンスパターンの虜になっていました。

そんな私がチャンスパターンではなく、「應援」の虜になる決定的な瞬間がありました。

高1の夏、神奈川県大会の決勝戦、試合後負けた野球部と同じくらい、いや、それ以上に悔しそうに、メイン台で泣きながら挨拶をする應援指導部主将の姿を見た時です。

私もその先輩のように、中途半端ではなく、文字通り自分の全てを懸けて應援がしたいと強く思いました。最初はその先輩への憧れという少々不純な動機でしたが、その想いで高校三年間を駆け抜け、野球部のみんなのおかげで甲子園にまで連れて行ってもらいました。

しかし、甲子園が終わり、私に残った感情は後悔でした。吹奏楽部として自分にできることは全てやり切ったのか、結局應援指導部におんぶされて應援した気になっていたのではないか。そしてその後悔から、大学では自分の手でこの甲子園を超える応援席を作りたい、というかなり大きな夢を掲げました。

そんな私が選ぶ選択肢は一つしかありませんでした。應援指導部吹奏楽団で全てを懸けて應援するために、そして自分がやり切るために慶應義塾大学應援指導部へ入部を決めました。

そして大学一年生から全力で活動し、気がつけばとても長いはずの四年間があっという間に過ぎ去ろうとしています。

今、最後の慶早戦が終わり、定期演奏会が近づく中で、全てを懸けて応援することができた、後悔はないと自信を持って言い切ることができます。三年時は野球サブ(野球の応援を考える担当)として、四年時は応援企画責任者として、自分の手で応援を創り上げることができました。甲子園と同じ規模の応援はできませんでした。コロナウイルスの規制もありました。ただ、それでも同じ目標を目指す仲間たちと考え、悩み、選手の勝利を信じて一丸となって応援できたこの日々は、私にとって本当に大切な時間です。

応援は、人と人の想いを繋げるものだと考えています。應援指導部一人一人の想い、體育會の選手の想い、応援席に来てくださる観客の方々の想い、昨年度まで死ぬ気で応援し続けてきた多くの先輩方の想い、その想いの全てを声で、演奏で、踊りで繋げるのが応援です。

応援の力は数値化することができません。たとえ100000人で応援しても必ず勝てるわけではありません。だからこそ、その数値化できない力をできるだけ大きくするために、私たちは考え続けます。どうすれば選手に届くのか、どうすれば観客の方々に届くのか、どうすれば部員に届くのか、これを常に考え続け、試合中は全てを懸けて応援し続けます。

應援指導部には熱血といったイメージが結びつくと思います。もちろん試合中は誰よりも熱く、全力で応援していますが、その熱い部分と同じくらい、どうすれば届くのかを全力で考えています。論理的な部分も感情的な部分も、どちらにも全力なこの應援指導部だからこそ、応援の力が真に発揮されると信じています。

私は応援企画責任者として、「自分がやれることを最後まで、どんな時もやり切る覚悟」を大切に活動してきました。

どれだけ考えていても、一生懸命応援していても、普段の演奏練習や、ドリル練習でも全力でなければ、その言葉は、その想いは部員に届きません。日々の生活、練習、應援に向けた準備、当日の應援、その全てを楽しみ、その全てに全力で臨む、そうすれば自然と人と人が繋がり、理想の応援席ができると信じています。

先輩への憧れで始まり、応援に携わり駆け抜けた七年間。今では応援について、應援指導部について考えることが日常となり、自分なりの考えをこうして残すことができました。きっと高校一年生の私にこのブログを読ませても自分の将来とは信じないと思うほどに人生が変わった高校、大学生活でした。描いた夢とここにある今は想像よりもかなり違うものでしたが、それでも、素晴らしい仲間たちと共に、慶應義塾の勝利を信じて応援し続けた日々は学生生活最後にして一番の青春でした。

先ほどから同じようなことを連呼している気がいたしますが、最後に今までお世話になった部員たちにメッセージを書いて、このブログを終わらせたいと思います。

・同期へ

これは全くお世辞じゃなく、本当に本当に最高の同期です。歴代の吹奏楽団の中でも、こんなに仲の良い代はなかったと思うくらいに。いつも本当にありがとう。

ここまで全力で、がむしゃらに応援ができたのは、同じくらい応援が、應援指導部が大好きなみんなのおかげです。どんな時も楽しむ気持ちを忘れないみんなの存在があったからここまで活動することができました。いっつも迷惑かけてるし、今が一番大変かもしれないけど、全員で乗り切って、最高の定期演奏会を迎えたいです。

残り少し、最後までよろしくお願いします。本当にいつもありがとう。

※撮影時のみマスクを外しております。


・応援企画責任者の二人へ

さっきも同じようなこと書いちゃったけど、みんなと死ぬほど考えて悩んで、たくさん議論して戦った日々は本当に宝物です。応援の日は二人の顔見るだけで安心できたし、誰よりも頼りになる存在でした。いろいろ迷惑かけたこともあったけど、本当にありがとう。これからもよろしくお願いします。


・パート同期へ

さっきから最高の〜しか言ってないけど、同じく最高のパート同期です。いつもありがとう。我ながら、なかなかいいコンビなんじゃないかと思ってます。演奏でもドリルでも応援でもとっても頼りになる存在です。部活のことも部活じゃないこともたくさん話してたくさんお世話になって、もう一生頭が上がらないことは確定してますが、あと少し、そしてこれからもよろしくお願いします。


・下級生へ

特に四年生になったこの一年間、みんなに力をもらい続ける日々でした。吹けなかった/叩けなかったフレーズが演奏できるようになってたり、堂々と神宮球場で指揮を振っていたり、ここには書ききれないくらいいろんなタイミングで力をもらいました。何か残せた自信はあまりないけど、反面教師にするつもりで来年以降も楽しんで、全力で活動してください。

※撮影時のみマスクを外しております。


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チアリーディング部四年M.R.へ

めちゃ前から知ってるからいまだに同じ部活なのが不思議な気分。

今はそれぞれ練習してるけど、定演で最高の演奏、踊り見せようね。

チアリーディング部四年R.N.へ

本当にお世話になりました。時が過ぎるのが早すぎてびっくりしてるけど、塾高からずっと一緒に応援できて幸せだった。最後まで頑張ろう。





みなさん、こんにちは。チアリーディング部四年、器材管理責任者のA.Yです。

このブログで何を書こうか考えたのですが、私は普段おちゃらけていて真面目な文章を書く事が照れ臭いので、同期からのインタビュー形式で書いていこうと思います。拙い文章ですが、最後に1番想いがこもっているので読んで頂けると幸いです。

同期A.T:應援指導部に入ってよかったと思う瞬間はいつですか?

→常に勝ちに向かって真剣な眼差しをしている体育会の方々を応援し、少しでも力になれたと感じられた時です。観客席にいるお客様が私たちの応援指導に応えて下さった時は、より大きな声援を選手の方々に届けられていると実感できました。また、勝利時の選手や部員、お客様のきらっきらの笑顔を拝見した際も、本当に應援指導部に入ってよかったと感じます。



同期R.Y:應援指導部に入部したきっかけはなんですか?

→母が斎藤佑樹さんの大ファンで幼い頃に早慶戦の応援に行ったことがきっかけです。高校でも野球部などを応援する応援指導委員会に所属していましたが、その際もよく慶應の応援をYouTubeで見ていました!應援指導部に入るために迷わず慶應を受験したので、受験で挫けそうになった時は應援指導部の動画を見てモチベーションを上げていました。そして大学入学後は吸い込まれる様に入部致しました笑

同期A.M:1番感謝を伝えたい相手にメッセージをお願いします。

→両親に1番感謝を伝えたいです。特に一年生の時は部活動での疲労やプレッシャーから、意味もなく八つ当たりしてしまう時があったけれど、そんな時も特に気にせず美味しいご飯を作り、たくさんの練習着を洗濯してくれてありがとう。ここまで続けてこられたのは間違いなく2人のおかげです。とても支えられました。

同期A.T:體育會のみなさんに一言お願いします。

→たくさんの最高の瞬間を本当にありがとうございました。こんなにも様々な感情が一度に溢れたことはありません。「1番思い出深い試合は?」と聞かれることがよくありますが、あまりに思い浮かびすぎて選べないです!「應援指導部いるとあがる」「来てくれてありがとう」と言って頂くたびにこの上ない嬉しい気持ちになりました。言葉には出来ない素敵な感情がぎゅっと詰まった4年間です。引退まであと少し、應援指導部として最後まで応援させてください。

同期R.Y:みんなに伝えたいことはなんですか?

→私と話したことがある人は分かると思いますが、私は年中ハスキーボイスです。初対面の方にはよく「風邪ひいてるの?」「声どうしたの?」と聞かれますが、実は私高校生までは今よりもう少し可愛らしい声をしておりました笑

試合中に叫びたい事がありすぎて思うがままに声を出していたら、気づいた時には枯れすぎて戻らなくなってしまいました。しかし後悔は全くございません!!勲章だと思い、これからは喉を労ろうと思います。



番外編

同期R.Y:好きなひようらのお店は?

問答無用でド・マーレです!!1日練の日で体力を使った日でも、部活動で悩むことがあっても、ド・マーレのパスタを食べたら全回復します。私の1番好きなメニューはエビとトマトのクリームアラビアータなのですが、最近はタコのアラビアータにも浮気しています🐙私の應援指導部生活を栄養面とメンタル面で支えてくれたドマーレでぜひおすすめメニューを食べてください。

最後まで読んでくださった皆様、ありがとうございました。同期のみんなの様な文章は書けませんが、「応援することが何よりも大好き」と言うことだけは胸を張って言い切れます。どれだけ辛いことがあっても、苦しいことがあっても、結局応援席に立つと「あぁ、やっぱり大好きだな」と感じてしまうのです。一度知ってしまったら離れられない楽しさ、一種の依存なのではないかとすら思ってしまいます笑

この先の人生、こんなにも心を熱く燃やして、こんなにも誰かのために声を毎週枯らせて、こんなにも悔しい思いをして泣いて、こんなにも心が躍り喜ぶことはないでしょう。今このブログを書いている時も、沢山の応援席での思い出が蘇り目頭が熱くなります。大好きで大好きでたまらない応援に携われたこと、心の底から幸せに思います。

私の應援指導部人生、関わって下さった全ての方に心の底から感謝します。引退まであとすこし、最後の1秒まで應援指導部員としての誇りをもち輝き続けます!



K.Aへ

4年間本当にありがとう!

入部したての時、外部生で(私たちの代は2人しか外部生がいません)知り合いもいない、右も左もわからない私に優しく振りを教えてくれてすごく安心したのを覚えています!

R.Y

仕事に対して一生懸命でひたむきで、心の底から尊敬しています!部活外でも3時間くらいお散歩しながら語ったりしたね笑

チアカレ必ず成功させましょう!