チームダイアリーをご覧の皆様、初めまして。3年TR神田迪子さんからご紹介に預かりました、1年FW木原俊太朗です。普通を嫌う僕にとって最高に変という言葉は最上級の褒め言葉でありますが、迪子さんも最高に変と言えるでしょう。記憶力が終わっている僕は迪子さんの変エピソードをあげることができませんが、とにかく変なのです。そう変なのです。時折ご飯に行かせていただいてますが、その時もめちゃくちゃ笑わせてくれますが、変です。また、先日も言葉を選ばずにいうと馬鹿ポーズを見せてくださりました。そんな愉快な迪子さんですが、八戸合宿で私が腕を怪我した際に病院に連れて行ってくださったりととても優しく、お世話になっています。


 さて、長くなりましたが本題に入らせていただきます。初めてのダイアリーとなりますのでこの場をお借りして自己紹介をさせて頂こうと思います。高IQの持ち主である私ですので非常に読みやすい文になっていると思います。最後までお付き合いいただけますと幸いです。違ったらすみません。

 私は6歳の頃にアメリカニューヨークに父の仕事の影響で引っ越し、地元のチームでアイスホッケーを始めました。そこでは地元のキッズたちと英語でコミュニケーションを取り生活していました。引っ越したての頃はthank you とhelloくらいしか喋れなかったと記憶していますが気づいたらぺらぺらと英語を喋っていました。子供の可能性は無限大ですね。また、引っ越す前からやっていたサッカーもアメリカで続けることになりました。ここから二刀流の大変な生活が始まります。そして9歳の頃に東京に戻り明治神宮アイスホッケークラブで中学3年生までの6年間打ち込んでいました。しかし、小6、中3と受験勉強に追われ、3刀流の生活をしていたため高校の3年間は丸ごとアイスホッケーをしたいという思いのもと塾高入学を目指しました。結果は見事、不合格。しかし、慶應志木高等学校には補欠でも入学して欲しいという手紙が届いたので、志木高に入学することとなりました。そしてサッカー部に入りとてもとても楽しい生活を送っていました。最初は塾高に行きたかったと強く思っていましたが周りに恵まれ、今では志木高に通えて良かったと誇りに思っています。

 ここまで長々とつまらない自己紹介をしてしまったので私の座右の銘でも紹介させていただこうと思います。それは、、、、、、「never give up」です。皆さん、決してふざけているわけではないことをご理解いただけると幸いです。私は小学校時代、中学校時代となにかを諦めたことはありませんでした。勉強にしても、12歳ながら塾に朝の10時から夜の10時までこもって勉強をしたりとなんだかんだ頑張れる子でした。しかし志木高に入り何かが狂ったかのように部活に行くのをやめてしまったり、テストも適当にやってしまったりと継続的な努力ができなくなってしまったのです。これは森の中で自由に育ってしまった弊害だと認識しておりますが、非常に親をがっかりさせたりとたくさんの迷惑をかけてしまいました。高校の頃は體育会に入ることなど全く考えていませんでしたが、たくさんの方の後押しのおかげで真剣に、そして幸せなことに楽しく活動を続けられています。自分のためにも後押しをしてくださった方のためにも大学では投げ出さずに「never give up」の精神で努力して参ります。
親が見たら泣いてしまうような文を書いてしまい少々恥ずかしいので、ここらで終わりにしておきます。

 次のダイアリーは、2年MG横須賀まどかさんです。まどかさんは最近は無くなりましたが、2ヶ月前くらいまでは僕のことを見ては嘲笑っているかのように見てくることがありました。なぜでしょう。おそらく馬鹿にしているのでしょう。勘違いでしたらごめんなさい。そんなまどかさんですが、実はめちゃくちゃ優しく、先輩方にとても丁寧に接しているところが印象的です。先日良いことだけ書けと言われましたが満足していただけましたでしょうか?
それではまどかさん、よろしくお願いします!