チームダイアリーをご覧の皆様、こんにちは。そして、初めまして。3年DF能條仁孝さんより紹介に預かりました、慶應義塾高等学校出身1年FWの生原大誠です。

 

 能條さんとは高校時代一切喋ったことがなかったのですが、陰ながら尊敬していました。現在でも能條さんの彫刻のような肉体については尊敬しております。そんな能條さんとは最近会話することも増え大変嬉しく思っております。矢のようなシュートと紹介されましたが、実際はただの山なりシュートであり私もいち早く能條さんのような弾丸シュートを打てるよう頑張りたいです。

 

 さて、初めてダイアリーを書くにあたって、この場をお借りして自己紹介をさせていただきたいと思います。拙い文章ではございますが、最後までお付き合いいただけたら幸いです。

 

 私は慶應義塾高校でアイスホッケーのキャリアをスタートさせました。幼稚舎、普通部と野球に打ち込んできましたが、普通部3年時の授業中にとあるジャンケンをした事が先生バレてしまい、それが顧問の先生の耳に伝わり、部活動停止を言い渡されてしまいました。そして部活動に参加できず、暇になった期間にNHLを見始めました。補足ですがそのジャンケンには当時同じクラスで同期の栖原も参加していました。栖原とは幼稚舎の時から面識があり、彼が小さい頃からアイスホッケーをしていたことは知っていました。教室で栖原とNHLの話をしている時に自分もプレーしてみたいと思うようになり、塾高に入ったらアイスホッケー部に入ろうと少しずつ考え始めました。

 塾高に入学してからというもの春学期はコロナの影響で学校に行くことも少なく、部活動は基本的に行われていませんでした。両親からは同期の多い部活に入った方が楽しいと言われました。ならば自分で同期を増やせば良いと思い、宮部や沖野、永森といったさまざまな友達を誘いました。その結果、體育會スケート部ホッケー部門でも苦楽を共にしております。

 塾高時代はとにかく早く過ぎ去ってしまい、何かに打ち込んだという実感がありません。それも、1年生の時はコロナもあり満足のいく練習機会が得られず、本格的に部活をしているという感覚になったのは2年生になってからでした。夏に行われる選抜大会で1個上の先輩方と仲良くなり、合宿などで部活動の楽しさを感じていきました。するとあっという間に時が経ち、最上級生になってしまいました。練習頻度も1、2年生の頃に比べれば格段に増え、アイスホッケー漬けの夏休みがこれから始まるという時に練習試合で右鎖骨を骨折してしまいました。その日の夜、病院に行ったところお医者さんには今年復帰することは難しいと言われました。数日して手術を受け、ワイヤーという金属の棒を鎖骨に入れ夏休みを含めて2ヶ月以上自宅療養しておりました。4ヶ月程が経ち、幸いな事にお医者さんからワイヤーを入れた状態のままであればプレーしてもよいと許可が出たため部活動に復帰しました。12月頃から試合に復帰し始め、早慶戦や引退のかかったインターハイに備えて全力を尽くしておりました。しかし、結論から申し上げますと私の高校アイスホッケー生活は早慶戦で終わってしまいました。釧路で行われたインターハイ合宿2日目の公式練習中に再び右鎖骨を骨折してしまいました。2度目となると一瞬で折れたということが感覚でわかりました。釧路の病院へ行き、レントゲンを見ると、ワイヤーごとへし曲がっており、1度目よりもひどく骨は真っ二つに折れていました。ワイヤーが入っていたことにより骨が皮膚を貫かずに済んだという話を後から顧問の先生に聞かされました。これこそ正に不幸中の幸いというやつです。1度目の骨折が無駄に終わることなく、少しはいい方向に働いてくれました。インターハイ初戦を目前に控えて私はチームメイトに想いを託し釧路を後にしました。東京に戻ってからは手術の準備に入り、2度目ということもありワイヤーよりも強固なプレートという金属と骨をネジで固定する手術になりました。そして釧路から戻った後は卒業式以外学校に行くことはなく、気がついたら高校を卒業していました。

 不完全燃焼に終わった高校生活を振り返り、リベンジも兼ねて大学では厳しい環境に身を置き、高いレベルが求められる體育會でプレーしたいと考え4月に入部いたしました。陸トレや氷上、ウエイトトレーニングなど全てでレベルの違いを体感し、ついていくのにやっとの日々を過ごしております。大学での4年間は大きな怪我なく終われることを目標に日々のトレーニングに励んでおります。中でも鎖骨骨折は本当に痛いのでなんとしてでも守り切りたいと思います。これがフラグにならなければ幸いです。

 

 ここまで私のダイアリーを読んでくださった方々、ダラダラとしたまとまりのない文章になってしまいましたがお付き合いいただきありがとうございました。4年生と一緒にいられる期間も残り8週間ほどとなってしまい、自分のフレッシュマンとしての1年も気が付いたら終わりを迎えようとしております。部活以外にも打ち込める何かを探し、さらに実りある大学生活にしたいと思います。

 

 次のダイアリーは、2年MG西凜々花さんです。凜々花さんはマネージャーとしていつも私たち選手を様々な面において支えて頂いております。凜々花さんから来るお願いラインの期日は大体2日ほどしか猶予が与えられず、私と同じく常にギリギリを生きていると認識しております。大事なラインに関してはもう少し猶予を与えてくださると嬉しいです。

 それでは凜々花さん、よろしくお願いします。