チームダイアリーをご覧の皆様、はじめまして。4年松中祐子さんより紹介に預かりました、2年DFの小島快と申します。祐子さんとは練習の時に一緒に車で向かうのですが、車内で話される内容には愛犬が非常に似ていることだったり、決してこの先明るみに出ることのないであろうミステリーについて、どこからか仕入れてきたかわからないゴシップなどがほとんどです。そんなくだらない話で大爆笑をしているうちに気づくとリンクに到着していることが多々あり、運転があまり好きではない私にとっては祐子さんとお話しをすることでいつも楽しく練習に向かうことができました。

そんな祐子さんは最上級生マネージャーでもあることからチームのお姉さん的存在でみんなから慕われている存在ですが、ごく稀に一部部員から恐れられているとも耳にしますがそれはきっと気のせいでしょう、気のせいってことにしましょう。

祐子さんとの残された日々は残念ながら後2日、大事な戦友の1人が引退してしまうと思うと非常に寂しいですが、「引退後も小島車に乗りたーい!」とおっしゃっていたので是非暇な時に乗りに来ていただきたいです。

最後に一言追加させていただくと、小島車が「最高の車」なのではなく、祐子さんが乗る車を「最高の車」にしないといけないという使命感のもと「最高の車」に作り上げたのだと思います。👀

 

前置きが長くなってしまいましたが、本題に入らせていただきます。

さて、初めてのダイアリーをどのように書けばいいのかと先輩方に聞いてみたところ、「最初のダイアリーは自己紹介が一番いいんじゃない」とのお言葉を頂きました。そのため、皆様に認知していただくことが一発目のダイアリーの醍醐味ということで、簡単な自己紹介を書かせて頂きたいと思います。

 

自己紹介に加えて、私は2年生であることから今回を含め後3回しか書けないので、大変勝手ながら本ダイアリーは、私の自己紹介と昨シーズン経験した海外挑戦の二本立てにさせていただきます。

ここで読んでいる部員のほとんどが、快がこんなに長い文章書くなんて馬鹿げていると思っていると思います。それもそのはず私は部員からよく「快は日本語下手だよね」、「何言っているの?」などと散々、日本語について突っ込まれているからです。このダイアリーを機に少しでも汚名を返上できたらなと思います。

拙い文章で読みづらい点も多くあるとは思いますが、少しでも興味のある方は最後までお付き合い頂けたら嬉しいです。

 

私は今年度の三月から慶應義塾大学體育會スケート部ホッケー部門に入部させていただいた環境情報学部2年、背番号47番の小島快です。

簡単な自己紹介をいたしますと、私は世田谷にあるインターナショナルスクールの小学校を卒業し、中学3年間はカナダに単身留学し現地の中学校に通いました。中学卒業後は帰国し、慶應義塾高等学校に推薦入試を経て入学し、現在に至ります。日本語ができない言い訳ではありませんが、実は高校が初めての日本語で行われる教育でした。そのため、一年生時の国語の定期試験では某2年生の双子の一人とともに学年最低点をワンツーフィニッシュした苦い思い出もございます。

 

私がアイスホッケーと出会ったのは5歳の時、父が友人から偶然誘ってもらったアイスホッケーの試合を見に行ったときです。その時の記憶は今でも鮮明に覚えています。

夜、突然父に「アイスホッケーを見に行こう!」と連れ出され、明治神宮外苑のスケートリンクで社会人リーグの試合を観戦しました。見始めてすぐ私は父に「このスポーツやってみたい!!」と言ったそうです(これは覚えていません、、)そこから私はアイスホッケーと恋に落ちてしまいアイスホッケーが中心の生活になっていきました。幼少期は小学1年生の終わりまで明治神宮外苑アイスホッケークラブに所属し、新横浜Jr.で5年生の夏までプレーしました。その後は3年間カナダの現地のチームでプレーしました。

余談になりますが、アイスホッケーを始めて数年後、父から教えてもらったことなのですが、祖父は戦前、満州でアイスホッケー選手だったそうです。戦争が理由で中止になってしまった1940年の幻の札幌オリンピックの日本代表だったこともこの時知ります。私は祖父に一度も会ったことはありませんが、父が見せてくれた祖父の氷上の写真は今でも大切に飾ってあります。父は祖父にアイスホッケーは危険だと言われてやらせてもらえなかったとのことですが、隔世でアイスホッケーというスポーツに巡り会ったのは運命だったのかもしれません。

 



 

高校3年間はスケート部ホッケー部門に所属し、弊部の4、3年生の方々と一緒にプレーしました。先輩方が高校を卒業された時は寂しかったのですが、附属校であることから、もう一度大学という舞台で一緒にアイスホッケーができていることがとても嬉しいです。

最も印象に残っている試合の一つは、高校2年生のインターハイ二回戦、苫小牧東高校との試合です。結論から申しますと、この試合にはオーバータイムの末で負けてしまったのですが、この試合を機に自分自身のアイスホッケーへの情熱はさらに倍増したと思います。

高校時代のチームの良いところを挙げますと、高校から始めた選手と小さい時から始めた選手の混在するチームでありながら、皆で切磋琢磨してインターハイ上位に食い込もうしたことです。強豪校のある北海道などの雪国と比べると首都圏でははるかに練習頻度は劣りますが、トレーニング施設やシュート練習場が非常に充実していたため、強豪校顔負けの活動が出来ていたと思います。

 



 

さて、長々と自己紹介をしてしまいましたが、先ほどから「なんで新入部員なのに二年生なの?」と疑問を抱いた方もいらっしゃると思います。よくこのような質問を部員からもいただくので、この場を借りてご説明いたします。

 

私は慶應義塾高等学校を2020年に卒業した後、慶應義塾大学環境情報学部に入学し、4月から7月までの春学期を受けたのちに秋学期開始時にカナダの東海岸にあるプリンスエドワード島のプリンスエドワード島大学に留学をしました。現地の大学は感染対策が緩和されていたため対面授業が行われていて昼はキャンパスでの授業に行き、夜はオンラインで行われていた環境情報学部の授業を並走させて受けていました。そのため1年間留学をしましたが、学年を落とさずに帰国することが出来ました。

1年間の留学を経て入部したのですが、現在部活では一年生として仕事や雑用を行なっています。ちなみに一個上の先輩方は「元」高校時代の同期です、特に塾高出身の2年生5人(現在の同期の川島を含めると6人)とは部活動ではもちろん敬意を持って敬語で接しないといけませんが、OFFの日はよく一緒に遊んでいます、もとい、遊ばせて頂いています。

 



 

ここまで読んでいただき本当にありがとうございます、ここまでがちょうど私のダイアリーの第一部でございます。長々と書いてしまい少し読むのに疲れてしまった方は、是非この場でストレッチをする、または目薬を入れて仕切り直していただきたいと言いたいところですが、現在2900字という大学の課題でも一苦労なほどの字数を書いてしまっているので、ここらで今回のダイアリーは終わりにしたいと思います。(日本語の実力が頭打ち、私が単に書くのが疲れてしまったということではないので安心してください、、ほんとです。)実を言うと、同期の有馬くんは過去一年間のダイアリーをexcelで分析していて、平均的に2000字代後半のダイアリーが一番多く、いいね数も多いことを教えてもらったので私もその分析結果に身を委ねてここで終わりにしたいと思います。

第二部を楽しみにしていた皆様、大変申し訳ございませんが、昨シーズンの海外挑戦のお話はまた次回のダイアリーまでお預けという形にさせていただきます。

 

最後に、1日後に4年生の引退試合でもある2022-23年シーズンを締め括る早慶戦という大舞台を控えている私たちですが、今シーズン全ての屈辱を全部晴らすという強い思いで最後は笑って終われるように、一生懸命プレーいたしますのでどうぞ応援よろしくお願い致します。

長々とまとまりのない文章になってしまいましたが、最後まで読んでいただき本当にありがとうございます。

 

次の担当は、4年DFの井口健太郎さん(通称イグケンさん)です。

イグケンさんとはウエイト班が一緒で、シーズン中盤を同じセットで組ませて頂いたことがあり、体を張ってゴールを死守してくださるベテランディフェンダーです。実はイグケンさんとは高校時代に何度か練習試合をさせて頂いたのですが、その頃の私は非常にヤンチャな選手だったので多分相当嫌われていたと思います。しかし、私が大学に入学し、共にプレーをさせていただいた中で「快は相手にいるとほんとに嫌いだけど味方にいると頼もしいわ」と言われた時は本当に嬉しかったのを覚えています。

時にマスクをすると、デジタル庁の河野太郎大臣に似ていると部内で言われているイグケンさんですが、秋リーグの日本体育大学戦で足の骨を折ってしまう大怪我を負ってしまいました。そのため、最後の早慶戦には一緒に出ることはできなくなってしまいましたが、約1ヶ月の入院から退院した3日後に松葉杖で練習に来てみんなを鼓舞してくれたイグケンさんの思いをしっかりと最後の早慶戦で受け継いでプレーしたいと思います。

いつかまたBIG DEE班ウエイトしましょう!

それではイグケンさん、よろしくお願いします!!