チームダイアリーをご覧の皆様、こんにちは。2年GK及川寿暉さんよりご紹介に預かりました、1年DFの有馬龍太と申します。

 寿暉さんを一言で表すとこのチームの顔です。ムードメイカー的存在であり、控え室ではあまりウケない一発芸を披露したり、くだらないことを言ってチームの雰囲気を和ませたりしてくださる有り難い先輩です。



 さて、今回初めてのダイアリーを書くということは私にとっては大変感慨深いものがあります。自分が受験生だった頃には勉強の合間に先輩方のダイアリーを熟読し、勉強のモチベーションにしていました。遂に自分がダイアリーを書く側になれたことを大変喜ばしく思います。

 普通を嫌う私にとって、1年目のダイアリーに何を書くかは非常に迷いました。私はスターバックスが大好きなのでそれについて書こうかと考えていたのですが、氷上では暴れている分1年目のダイアリーでは大人しく自己紹介に留めたいと思います。スタバ関連に関してはぜひ来年のダイアリーを楽しみにしていて下さい!


 今回のダイアリーでは自分がアイスホッケーを始めるに至った経緯、北海道の高校へ進学し、そこから慶應を目指すに至った経緯など、決して普通とは言い難い自分の経歴について綴らせていただきたいと思います。



 私は東京で生まれましたが親の転勤で6~9歳をアメリカのニューヨークで過ごしました。渡米する直前に偶然長野の軽井沢で観戦した小学生のアイスホッケー全国大会がきっかけとなり6歳の時にアメリカでアイスホッケーを始めました。帰国後は明治神宮外苑アイスホッケークラブに所属し、現在弊部の主将である笹山大智さんや3年DFの赤坂泰成さんとここで出会いを果たしています。当時のチームはとても人数が少なく勝つ方が珍しいくらいのチーム状況だったと記憶しております。この頃は生活の中心が完全にホッケーであり勉学とは無縁の生活を送っていました。 

 

 そんな中、中学2年の時に転機が訪れます。


 U16日本代表の合宿に招集していただき、この代表合宿がきっかけとなり複数の高校からオファーを頂くことができたのです。当時、中高一貫校に在籍していましたが、「高校で北海道に行く」と、この頃から真剣に考え始めました。最終的には監督の熱意とチームの雰囲気に惹かれ、北海道釧路市にある武修館高等学校に進学致しました。私たちの代から新たに道外選手用の寮ができ、監督自身が責任者として同居するという緊張感のある斬新な毎日でした。


 ここでも再度転機が訪れます。


 入学して間もない頃に全治4ヶ月の怪我をし、「後遺症が残るかもしれない」、「ホッケーはもうできないかもしれない」、医者からこう告げられました。高校ホッケーに対する期待が大きかった分、挫折も相当なものでした。一方で、この怪我のおかげで初めてホッケーをしていない自分というものを考え始めました。そんな多感なタイミングで偶然YouTubeのおすすめに出てきた、イーロンマスクの生い立ちを説明する動画を視聴すると一瞬にして彼の虜になってしまったのです。

(こちらの動画になります→




 この動画を見たことが自分にとっての大きなターニングポイントとなり、一気に勉強モチベがマックスになりました。その日からは行ける日には毎日自転車で図書館に通い、1人で勉強し出すという奇行に走り出します。当時は勉強をすることが心から好きでしたがこのことを周りに知られるのがなぜか嫌で、どこに行くのか聞かれても「ちょっとそこまで」と言って毎回濁していました。途中からは塾に通うようになり、志望校というものを考えるようになりました。受験生あるあるかもしれませんが、初めは本気で「東京大学」を考えていました笑。

怪我の完治が見えずホッケーへの復帰の見通しが立たなかったこともあり、受験に専念するために転校しようか真剣に考えたこともありました。結局高校は変えず、部活との時間の兼ね合いで受験科目の少ない私立に絞り、慶應を志望することになりました。

(ちなみにシーズン中の部活の予定表はこのような感じでした↓)




 




「折角一般受験を経て進学するのであればスポーツ推薦がない大学に行きたい。」


 初めはそんな不純な理由で慶應を志望しました。その後、慶應についてさらに詳しく調べていく中で、慶應ホッケーの泥臭いプレイスタイルに惹かれたことも大きな志望動機となりました。さらには、スポーツ推薦を取っていない慶應がスター選手勢揃いの大学と互角に試合をし、トップディビジョンで競っているということも私にとっては非常に魅力的でした。


 第一志望を決めてからは部活と塾のみの生活でした。この生活になってからは、どちらに関しても一度も妥協をしたことがないと自信を持って言い切ることができます。印象的だったのは共通テスト当日の夜の練習に参加し、自己採点が終わらないまま翌日インターハイに出発したことです笑。


 結果的には、生徒会長、U18日本代表、インターハイ優勝、早稲田合格と文武両道を体現できた高校生活だったと言えるのかもしれません。


 しかし、ここまでやり切ったからこそ、第一志望にはこだわってもう一年勉強しようと決意しました。大学からのモラトリアムというか、空白の一年というか、浪人というやつです。そして翌年には慶應に無事合格し現在に至るといった感じになります。


 ここまでの歩みの過程において、本当にたくさんの素晴らしい出会いがあり、自分が今幸せにホッケーができていることはひとえにこれらの方々のおかげだと言えます。


温かく見守ってくれた同期の皆んな。

路面が凍結した時期に塾への送迎をして下さった地元の親御さん。

入学時から私のことを信じて応援して下さった担任の先生。

前例のない一般受験を後押しして下さったアイスホッケー部の監督。


本当にありがとうございました。(いや、卒業する4年生かよ)


特にホッケー部の角橋監督からは様々な名言を頂き、それら一つ一つが今の自分の人格を形成していると言っても過言ではありません。多くの言葉の中でも特に気に入っているのが、このダイアリーのタイトルでもある、「苦悩を突き抜け歓喜に至る」という言葉です。この言葉は卒業時に監督から贈っていただいた言葉でもあります。




 




 浪人という苦悩を突き抜けた結果、今のこれ以上なく充実した大学生活に辿り着くことができました。現在は苦悩のクーリングオフ期間とでも言うべきでしょうか。俗に言う、燃え尽き症候群というやつです。いつかはまた孤高になり、努力を重ねる時期がやってくると自分では分かっています。今度の苦悩を突き抜けた先にはどのような歓喜が味わえるのか、楽しみで仕方がありません。


 ここまで読んで下さった方、ありがとうございました。自分でもこれまでの人生は結構面白くて特殊なルートだと思っています。「人生は冒険や!」の精神を忘れずに今後も精進してまいります。さらに面白みを付け加えるには何がいいでしょうか。留学なのか、留年なのか、一文字違いですが、そこには大きな違いがありますね。面白さで言うと後者の方がウケが良さそうですが。



次の担当は2年MGの高木麗さんです。麗さんとはまだあまりお話ししたことがないのですが、噂によるとかなりブチ上げ系の方で喋り出すと止まらないなんていうことを耳にしたことがあります。私はまだ麗さんのそのような一面を見たことがありませんが、卒業までにはぜひ拝見させて頂きたいです。また、今シーズンは「うらら筋肥大計画」と称して筋トレに注力されているということなのでその進捗状況についてもぜひ教えて下さい!

それでは麗さん、よろしくお願いします!



追伸

私がおそらく今年度最後のダイアリーとなることかと思いますので皆さん良いお年を!