チームダイアリーをご覧の皆様、こんにちは。1年FW郷基成よりご紹介にあずかりました2年GK中西征彌です。今年の1年生は昔から知っている部員が多い中、郷は今年からの付き合いでした。しかし、1年の中で話しやすい印象があります。練習中や合宿中自分のくだらない会話にも付き合ってくれるので郷の方からお食事に誘ってくれるのは時間の問題だと感じています。紹介してくれた野球に関しては郷の解説付きで早慶戦を見ることでその魅力を紹介してほしいと思います。お誘いお待ちしております。

 

 さて、前置きが長くなりましたが、本題に入らせていただきます。拙い文章ではありますが、どうか最後までお付き合いいただけると幸いです。

 

 私は昨年、一年生のダイアリーで自己紹介するということを知らず、好きな漫画のハイキューの紹介のみで終わってしまったので、二年生ではありますが私のホッケー人生、また、今なぜ慶応義塾體育會スケート部ホッケー部門でホッケーをしているのかについて語らせていただきたいと思います。

 

 私がアイスホッケーを知ったのは小2の時です。元々日本にいた頃はサッカーをやっていたのですが、Jリーグに連れて行ってもらっても途中で飽きてしまっていました。しかし、小2の時に親の転勤のためカナダに住むことになり、サッカーからは離れてしまいました。そんな中、父親に連れられアイスホッケーを初めて見に行った時には、アイスホッケーのスピード感、ゴールが入ったときの盛り上がりに魅了され、1秒も目を離すことなく虜になってしまいました。その惚れこみぶりは、次の日にはおもちゃのスティックを父親にねだって買ってもらうほどでした。これが私のアイスホッケーを始めたきっかけです。

 普通アイスホッケーを見て始めた人はプレイヤーになりゴールを決めることに憧れると思います。しかし、私はゴールキーパーの一人で試合を勝たせてしまう力に惹かれました。そしてチームを勝利に導けるゴールキーパーを目指して地元のクラブチームに入ったのですが、スケーティングを学ぶため1年目は選手としてプレーしていました。ただ選手をしながらも友達と遊ぶときはゴールキーパーをやっていたほどゴールキーパーになりたい気持ちがとても強かったのを覚えています。その後2年目でゴールキーパーに転向し、カナダでの最後の年である3年目には地区大会で優勝するなど、アイスホッケーを存分に楽しめた3年間でした。



 

 小4で日本に帰ってきてからは中1まで明治神宮外苑アイスホッケーチームに所属していました。そこではアイスホッケー以外のことで学ぶことが多かったです。神宮では特に日本の上下関係について学びました。しかし、アイスホッケーに関しては伸び悩み、試合でも結果を残すことができていませんでした。このままではダメだと感じ、中2の時にキーパーコーチがいる高田馬場アトムズに転属しました(神宮でお世話になっていた笹山主将を裏切る形となってしまいました、ごめんなさい)。また、カナダに1週間キーパークリニックに行ったり、釧路にてキーパーコーチに教わりに行くなど積極的に練習していました。その結果、中3では都大会で活躍できるぐらいゴールキーパーとして成長することができました。

 高校では東京に残り、西部ホワイトベアーズに所属しました。西部ホワイトベアーズは高校にしては珍しいクラブチームだったので、学年ごとの部員数はバラバラで、私の代は恵まれていて11人もいたのですが、一つ上の代は2人しかいませんでした。また、高3で受験勉強に専念するために休部する人が多く、高1からチームの幹部を任せられることがありました。そのため、高1の時からチームを強化するためにチームの在り方を考え直そうと陸トレや練習方法、戦術など自分たちで考えたり、ゴールキーパーだけでなくプレイヤーの勉強もしていました。中学生まではアイスホッケーをただ楽しんでいたのですが、高1でチームの改革に携わったことから勝ちにこだわるようになり、アイスホッケー選手として一回り大きくなることができたと感じています。高1から幹部のような気持ちでチームに携わる必要があるという特徴のおかげかチーム内では実力が大幅に伸びる選手もいて、チーム力は3年間で大幅に上がりました。私が高1の時には関東予選を突破することもできなかった国体では、高3の時に3位を取ることができ、アイスホッケーにもう一段階はまるきっかけになりました。これが高校生までの私のアイスホッケー人生です。

 私が慶應義塾大学への受験を決めた理由の一つに昔東京でチームメイトだった笹山さん、井口さん、赤坂さん、田原さん、倉田さんなどが幣部に在籍していたことがあります。また、大西前監督が在籍されていたことも大きな影響がありました。大西前監督には中学生の時に氷上練習に誘っていただき一緒に練習をしたりなど大変お世話になりました。そのため、ぜひ大西前監督の下で勝ちたいと強く思っていたことも慶應義塾大学を志望した理由の一つです。残念ながら大西前監督の下でゴールキーパーとして勝利を掴むことはできませんでしたが、今後幣部で正ゴールキーパーとして出場する際は、大西前監督のためにも勝利を収めたいと思います(大西さん、自分が出場する際にはぜひ応援しに来ていただけるのを待っています)。

 長文となってしまいましたが今後この文章に早慶戦勝利という文字を刻めるよう誠心誠意練習に励んでいきたいと思います。今後とも応援よろしくお願い致します。

 


 次回のダイアリーは1年GKの多田圭之介です。圭之介とは中学生の時チームメイトで共に釧路にキーパーレッスンを受けに行くために2人で遠征に行くなど後輩というよりは友達に近い関係です。そんな遠征中に起こった些細な事件について紹介したいと思います。2人きりのホテルでの休憩中にGがどちらかの防具バックから出現しました。ゴールキーパーではなく生きた化石の一つであるcockroach通称ゴキブリです。しかし、二人とも虫が苦手なため2人とも高台に逃げ「けいのすけ早く処理して!」「せいやさんの防具バックから出てきたからせいやさんがやってくださいよ!」などGの処理に苦戦したのが印象的です。そんなキーパークリニックに行く関係も中学生以来一度も行けていません。また機会があったら今度はキーパー4人全員で遠征に行ってみたいです(人が増えてもGの処理は押し付け合うことになるでしょうが)。

それではけいちゃんよろしく!