チームダイアリーをご覧の皆さん、こんにちは。4年TR犀川進よりご紹介に預かりました4年GKの木村初穂です。進には4年間を通してトレーニング面や食事面でとてもお世話になりました。全体のトレーニングメニューを考えることだけでも大変なのに、キーパーという特殊なポジション専用のトレーニングも試行錯誤を重ねながらベストなものを考えてくれました。また、ご紹介にもあったように、私は部員の中でもよく食べる方なのですが炭水化物の制限など食事のアドバイスもしてくれていました。引退後は太らないために、炭水化物の制限、陸トレへの参加を有言実行しますし、これからもアドバイスを求めると思います!今まで本当にありがとう。


 

 さてチームダイアリーも早いもので4回目となりました。そして、私が18年間プレーしてきたアイスホッケーも残り数週間となりました。今回は、アイスホッケープレイヤーとして書く最後の文章ですので、18年間関わった方々への感謝と、競技生活から得た学び・発見について伝えたいことを中心に書きたいと思います。


 

 私にとってアイスホッケーとは「人生そのもの」でした。その人生を歩んできた中で、全ての方々への感謝を伝えたいですが、何万字あっても足りないと思うので「私の人生に最も影響を与えた人」について3つほどお話したいと思います。

 

 まず感謝したい人は、皆さんもご存知の山中信雄コーチです。小学生まで俗に言う”Just for fun”でプレーしていたものの、中学校からは全国有数の部活動としてプレーしました。当時、鬼のように怖いと感じていた山中信雄コーチの元で、体力的、精神的にも鍛えられました。1年生の時から試合に出させてもらっていたものの、部活動でありながら関東大会1回戦敗退という不名誉な記録を作ってしまったりもしました。しかし、試合経験を積むことによって私の成長を期待してくれました。そのお陰で、3年生の時には日本一は逃したものの、ほとんどの大会で優勝し、シーズンを通して公式戦の敗戦はわずか2戦でした。信雄さんの高校時代の先生でもある田中正靖先生が当時監督を務められていた苫小牧東高校への進学も後押ししてくださいました。そして驚くことに、大学2年生のときからまた指導をしていただくことができました。信雄さんに出会えていなかったら、ここまでアイスホッケーを続けることはなかったと思います。

 

 次に、小中高でお世話になった先生方です。幼い頃から、私は学校の先生に憧れていました。私が先生に憧れるきっかけを与えてくださった先生方は、常に私の夢を後押ししてくれる存在でした。特に中学生の時にお世話になった先生方は、過酷なアイスホッケー部のことを良く知っていたので、その中でも担任に限らず、学年、学校全体で応援してくれました。高校では前述したように、山中信雄コーチの高校時代の先生でもある田中正靖先生にお世話になりました。親元を離れて暮らす部員は何人かいたので、常に気にかけてくださり、食事などにも頻繁に連れて行ってくれました。進路についても真剣に相談に乗ってくださり、おそらく田中先生がいなければ、SFCに入ることも慶應義塾體育會でアイスホッケーをすることもなかったと思います。そして、このような素晴らしい先生方にお世話になったことから、私も将来は教育に関わりたいと考えるようになりました。将来の夢を与えてくださった先生方には本当に感謝しています。

 

 そして、誰よりも感謝したい人が3人います。父、母、妹の3人です。まず、父がカナダに留学をしていなかったら、私はアイスホッケーを始めることも、英語を話すこともなかったでしょう。父が、私が苫小牧東高校でプレーをしていた時、最初で最後に生観戦してくれた試合が高校3年生のインターハイでした。試合には惜しくも負けてしまったものの、試合後に「北海道に行ってよかったね」と言ってくれました。親元を離れたわざわざ北海道に行ったことが報われたと思った瞬間でした。母は、私が中学生の時に主に自宅と学校、そしてリンクへの送り迎えをしてくれました。往復2時間以上かかる送迎を週に8回以上ということも稀ではありませんでした。私の練習中には、学校の勉強では足りないからと言って、塾に通う時間がなかったため、私に教えられるようテキストなどを読んで独学で教えてくれました。妹は、私の8歳年下です。一緒に住んでいた頃はまだ幼稚園生で、私の練習のために幼稚園を早退したこともありました。兄にお金と時間がかかるからと言って、自分のやりたいことを我慢したこともあったかもしれません。中学生になった今は、将来の目標もできたため、思う存分好きなことをさせてもらった兄は、今度は妹の夢を後押しする番です。

 

 その他にも、バンクーバーでホッケーを始めるきっかけを作ってくれた人たち、宇都宮ブルーインズ、日光東中学校、苫小牧東高校、そして慶應義塾大学でお世話になった監督、コーチ、チームメイト、保護者の皆さん、学校関係者の皆さん、今まで大変お世話になりました。ありがとうございました。


 

 最後に、私がアイスホッケー生活を通して得た学び・発見から、2つだけ皆さんに伝えたいことがあります。1つ目は、自分だけの夢を持ち、それに向かって突っ走ることです。その夢は何でも良いと思います。「みんなが〇〇だから自分もする」などといったように、みんなに合わせることはしない方がいいです。10人いれば10通りの環境で育ち、趣味も興味も10通りあります。偏見を受けることもあるでしょう。しかし、自分が正解だと思う道が正解なのです。他人にその正解は分かりません。そして、生きる上で夢は必要なのです。あの有名な池井戸潤の作品「下町ロケット」の主人公である佃公平の台詞にも「仕事には夢が必要なんだ」とあります。夢の大小は人それぞれですが、一度しかない人生だからこそ、夢ある人生を送って欲しいです。

 

 2つ目は、できるだけ多くの友達・先輩・大人と関わることです。特に先輩や大人は自分より長く生きているため、それだけ自分より多くの経験をしています。多くの人と出会うことができれば、それだけ自分の人生におけるヒントを与えてくれる人に出会える可能性が高くなります。これには少なからず運もありますが、関わる人が多ければ多いほど運も高くなります。そして、出会った人たちによって、さらに多くの人と関わりを持つことができます。4年間體育會に所属した身として感じたことは、體育會は非常に狭い世界であるため、物事に対する視野が狭まることです。授業や研究会など、他のコミュニティに所属している人たちと知り合う場はいくらでもあります。體育會の外に目を向けてみると、知らない世界をたくさん知ることができると思いますし、私はこの1年でそれを実感しました。なので、このダイアリーをお読みの皆さんには多くの人と関わり、ぜひ人生における夢を見つけて欲しいと思います。

 

 「人生そのもの」だったアイスホッケーですが、4月以降に競技を続けることも考えていません。これでアイスホッケーキャリアは終わりです。18年間、様々な困難はあったものの、ここまで夢中になることができ、怪我なく競技人生を終えられた自分のことを誇りに思います。アイスホッケー自体は大好きなので、これからは1人のファンとして、好きなチームを応援し続けたいと思います。あと2年は日吉に住んでいるので、皆さんぜひまたお会いしましょう。

 

 

 次のチームダイアリーの担当は、4年DF副将の小嶋遼亮です。未だに塾高出身者の笑うポイントなどよく分からないので、つまらないかもしれませんが真面目な紹介をします。私は彼のことを小学校6年生の頃から一方的に知っていました。当時から体が大きく実力のあるDFとしてかなり恐れていました。と同時にユニークなキャラクターの持ち主としても関東全域で有名でした。いつもの練習後の控え室で信雄コーチや武司コーチと繰り広げられる会話は本当に面白いです。未だによく分からないところはありますが、チームで一番Passionを持ち、勝利に貪欲な選手であることは間違いありません。彼のホッケーに対する姿勢はみなさんぜひ見習って欲しいと思います。では、小嶋よろしく!

 

P.S.

2、3年以内に見たい物が3つあります。

・GK及川が4強相手に完封勝利

・GK岡田の公式戦初勝利

・GK中西の公式戦初勝利

以上の3つを楽しみにファンとして応援します。がんばれ!