チームダイアリーをご覧の皆様、こんにちは。4年FW十文字陽亮より紹介に預かりました、4年DF若森龍太朗です。


陽亮とは、去年から広報班で様々なコンテンツ作りに共に取り組んできました。「自分とは正反対の人間」と紹介を受けましたが、それには私も同感です。広報班の中でも、できる最低限の作業しか引き受けなかった私に対し、あれやりたいこれやりたいと好奇心のままに動いてはキャパオーバーになり、深夜に徘徊し、夜な夜な語り出す彼の習性には理解に苦しみました。とはいえ、興味を持ったことに対する真っ直ぐな想いや勉強熱心さには、感心することも多かったです。つい先日公開されました早慶戦PVも陽亮が何日もかけて作ってくれたものですが、正直嫉妬するほどのクオリティで驚きました。まだ見てない方はよろしければぜひ見てください!

 

 

最近彼はラジオにハマっているらしく、ラジオパーソナリティの絶妙なトーク力に憧れているようですが、彼らはプロなので勘違いしないように。オチの弱い冗長なトークにうちの同期は厳しいです。
少し毒舌な癖がでてきてしまいそうなので、紹介はこのくらいにしておきます。残るインカレ、早慶戦、陽亮の持ち前のホッケーセンス、頼りにしてます。

 

さて、長いようで短かった大学ホッケーも引退まで残すところ1ヶ月を切りました。最後のダイアリーでは、私のアイスホッケーに対する想い、そして大事にしてきた軸について語らせて頂こうかと思います。拙い文章かと思いますが、最後までお付き合いいただければ幸いです。


私がアイスホッケーを始めたのは幼稚園生の頃、両親の勧めで幼稚園にあったホッケーチームに入り、競技を始めました。正直初めてスケートを履いた時のことはほとんど覚えておらず、まだ幼かった私とホッケーの出会いはすごく曖昧な記憶となっています。

これほど幼い頃から競技を続けていることを人に話すと「すごい継続力だね」と言われることが多いのですが、頑張って続けてきたというよりは気づいたら常にそこにアイスホッケーがあったという感覚に近かったと思います。小学生になる頃にはすでにアイスホッケーが当たり前に生活の一部となっていました。

 

 

小さい頃はよく、「将来の夢は何?」と聞かれると、「プロアイスホッケー選手」と答えていました。その言葉の通り、本気でプロになりたいと思っていた時期もありました。しかしそのうち、自分は将来アイスホッケーで食べていくことはないだろうなと思い始めるようにもなりました。

それには大きく2つ理由があります。


一つは北海道苫小牧市という日本で最もアイスホッケーが盛んな街で10年以上プレーしてきたこと。いろんなチームに所属する中で自分よりも遥かに上手な選手をたくさん見てきましたし、共にプレーもしてきました。こんなに恵まれた環境でホッケーをしていると、良くも悪くも自分の実力がよくわかりました。

決して、悲観的になっていたわけではありません。ただ自分の実力、今いる立ち位置を素直に受け入れていただけです。技術の向上が無駄だと思っていたわけではないし、本気で上手くなりたいとも思っていました。この恵まれた環境のアドバンテージを生かして、自分がどのレベルまでいけるか試してみたい気持ちもあったし、その先にプロという道があるならば挑戦したいとも思っていました。


ただ、プロになろうがなるまいが、私にホッケーがあることに変わりはなかった。これがもう一つの理由でした。プロになりたかったのかと言われれば、なりたかったし、ならなくてもよかったんです。この感覚がうまく伝わるのかわかりませんが、要するに、そのくらいアイスホッケーが自分にとって"当たり前すぎる"存在になっていたんだと思います。


そう思い始めてからは、プロアイスホッケー選手にならないなら、自分は将来何になるのだろうかと考えるようになりました。そのうち、プロにならないのにこれほどの時間と労力をアイスホッケーに懸けることに意味はあるのだろうかと感じることもありました。


高校では特にそれを感じました。


高校時代はこれまでの人生を振り返って最も辛かった時期で、精神的にも肉体的にも、部活以外に何かをする余裕などほとんどありませんでした。もちろん、ホッケーをしている時間は楽しかったですし、高校生活でホッケーに打ち込むことに迷いもありませんでしたが、一方で多くの何かを犠牲にしている気持ちにもなっていました。


そんな中、高校3年時、AO入試で慶應義塾大学を受けることになり、結果的に、この経験が私の価値観を変えることになりました。


それは、「アイスホッケーを言い訳にしてないか」ということです。


学生時代に部活に打ち込んできた人にはおそらく共感してもらえると思うのですが、部活の忙しさというものは逆に言えば非常に便利な言い訳に使えてしまうものなのです。「ごめん、部活が忙しくて」と言ってしまえば、面倒な誘いも簡単に断ることができてしまいます。言われた方は「部活があるなら仕方ないか」と引き下がるしかないですからね。同期の立島あたりが使ってそうな手口です。
なんてのは冗談ですが、実際「忙しい部活」を言い訳にしてることって、思い返すと割とあるんじゃないかなと思っています。

「ホッケーが忙しいから仕方ない。」「ホッケーがあるから無理だろう。」

当時は辛いことがあると、よく自分にこう言い聞かせていたような気がします。でも本当にそうだったのでしょうか。
ホッケーがある以上、他の道は諦めなければいけないのか。はたまた、他にやりたいことがあるなら、ホッケーは諦める必要があるのか。
そう自分に問ううちに、自分はホッケーを言い訳に、時にはホッケーを自分の逃げ道にしているのではないかと思うようになりました。


「本当にホッケーのせいでできないのか。やってみないとわからない。」


大学受験というものを控え、このようなことを考え始めていた私は、両方本気でやり抜いてやると意気込んだのを覚えています。確かに部活は忙しかったです。ですが時間は作ろうと思えば作れました。
辛くても努力し続けた結果、無事大学に合格できた経験が自分の自信へと繋がりました。


「どっちもやりたいのならどっちもやってみればいい。ダメだったらその時にどちらかを選べばいい。」


アイスホッケーをやっていく中で、そんな考えが自分の中の行動軸となっていきました。

大学に入ってからも、その軸は変わりませんでした。SFC(湘南藤沢キャンパス)の自由な雰囲気にも影響を受け、大学1、2年生の頃は特に興味を持ったことにはどんどん挑戦してきました。深夜帯の活動が多い部活との両立は体力的にかなり大変でしたが、その分とても充実していました。

大学3年になった頃にはデザインに強く興味を持ち始めるようになり、就活の時期になると、将来はITの分野でクリエイターを目指そうと決めました。ただ、體育會出身でクリエイターのような専門職につく人は周りにもなかなかおらず、美大生でもない私は、デザインの勉強も独学でやるしかなかったり、正直難しい選択であると感じていました。しかし、自分の中の軸に従い、とりあえずやってみようと決めました。ダメだったらダメで、部活を引退してからもう一年かけて目指せばいい。そう思いながら、やれる限りやってみようと挑戦した結果、幸運にもクリエイター職で内定をもらうことができました。

失敗を恐れずやってみることの大切さを学んだ瞬間でした。


こんなことを言っていると、アイスホッケーは片手間で適当にやっていたんじゃないかと思われたかもしれません。でもそこは自信を持って本気で取り組んでいたと言えます。どんなに辛くても、自分の中で大事にしてきた軸を周りに証明するという強い覚悟の上で行動してきました。そしてもちろん、色々挑戦してきたことと同じくらい、もしくはそれ以上に変わらずホッケーが好きでした。他にやりたいことが見つかっても投げ出さなかったのは、結局ホッケーが常に私の中心にあったからです。


どうしてここまで頑張ってこられたのか。
もともと忙しさに対するキャパが人より大きい方だったのかもしれません。ですが、決して自分の力だけでできたことではなかったと思います。これも、たくさんの人の支えがあってこそできたことです。本当に良い環境に恵まれてきたなと思います。
まず、あの時支えてくださったAO班の皆さんがいなかったら、あの成功体験も、今の自分もきっといませんでした。また體育會という環境、部員のみんなもそうです。具体的には去年と今年は広報班という場でクリエイターを志す自分にたくさんの挑戦の機会を与えていただきましたし、それらを応援してくれる人が多くいました。
4年間たくさん送迎してくれた誉と直弥の車ではいつも爆睡しちゃってて、本当に申し訳なかったけど、すごく助かりました。笑

そして何より家族の支えがありました。ホッケーも、それ以外でも、やりたいことに関しては口出しをせず、素直に応援してくれていました。すごく時間も労力も、お金もかかったし、たくさん負担をかけてきましたが、最後まで支え続けてくれた家族のおかげで今の自分があります。本当にありがとう。
他にも弊部スタッフ陣の皆さんやOBの方々、仲の良い友人、支えてくれていたたくさん人の期待を裏切らないためにも、すべて中途半端にはできませんでした。応援してくれる人がいたからこそ、ここまでなんとか頑張って来られたのだと思います。


この軸を貫こうと決めた日から今日まで、圧倒的に辛いことの方が多い日々でした。もうあと1ヶ月もしないうちにこの生活が終わることに、ずっと背負ってきた荷が降りるような感覚になっているのも正直なところです。
アイスホッケーというスポーツに人生の大半を費やしてきましたが、これだけ長くやってきた中でも、自分にホッケーは向いてないんじゃないかと思うこともよくありました。もしかしたら、アイスホッケーをやらないことでもっと極められた道もあったかもしれません。ただ、いつもそこにあったホッケーが大好きでしたし、良くも悪くもホッケーがあったことでたどり着いた今の自分にとても満足しています。


スポーツへの向き合い方にはいろいろな形があっていいと思っています。プロの世界でも横浜GRITSをはじめとして、デュアルキャリアというアスリートの新たな道が開かれてきています。ただ間違いなく言えるのは、本気でその競技に打ち込む環境に身を置く以上、リスペクトを持ち、同じメンタリティを持って戦わなければいけない、言い訳は通用しない世界だということです。その覚悟を持ち、それぞれが思うがままにスポーツと向き合い、大好きなスポーツを楽しんでほしい。強くそう思います。


残るインカレ、早慶戦。とにかく楽しむことを第一に、そして私のホッケー人生に関わってきたすべての人への感謝の気持ちをもって、最後まで駆け抜けたいと思います。大変長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

次回のダイアリー担当は4年TR犀川進です。
弊部のトレーナーである進には4年間あらゆるトレーニングメニューを駆使してたくさんいじめられてきました。去年から今年にかけてはコロナの影響により、陸上競技場が使えなくなったり、寮内のジムが閉鎖されたりと、例年のトレーニング環境が満足に確保できない状況が続きましたが、リモートでのトレーニング方法を確立したり、限られた設備でも十分に追い込める筋トレメニューを考案してくれたりと、チームの勝利のためトレーナーとしての役割をこれ以上にないほど果たしてくれました。朝陸トレに集まるたびに「今日はサッカーだよね?」と聞いては、真顔で「7半」と言ってくるちょっとサイコパスな進に心が折れそうになる日もありましたが、この怠惰な同期をここまで叩き上げる役割は進にしかできなかったと思っています。(最後にサッカーさせてくれてありがとう)
選手ではなくとも、選手に負けないほど熱い思いで勝利に向き合ってきた我らが自慢のトレーナーです。最後のダイアリーにもそんな熱い思いを綴ってもらえればと思います。それではすすむ、よろしく!